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『東京』
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曲の冒頭から東京という街に漂う壁のような、超えられないなにかを意識させるような描写が重ねられる。いうまでもなく東京は多くの人たちの希望の場所で、そうでなければあんなに人が集まったりしない。しかし、古くは高校を卒業して集団就職で向かった大都会東京や、バブル前の夢が集積する華やかな街東京などとは違う東京が、失われた20年のデフレ後には存在していると思う。これまでさまざまな東京ソングが発表されてきてて、かつては憧れの街に行く若者のワクワク感と不安感が行ったり来たりといった心理が歌われることが多かった。しかし最近、行きづらさを背景とした心理が歌われていることが多くなってきているように感じられる。そりゃそうだ。将来がバラ色に見えた昭和最後の頃とは社会が明らかに違っていて、その中で生きる人の価値観や問題意識が同じであるはずがなく、それぞれの時代にフィットした価値観がなければ、同時代のリスナーから共感を得ることなどできないのだ。だから、この曲も不安や疑問から始まるのだろう。だから聴いていて、ああこの曲は東京の東京性を否定するような歌なのかなあと思っていた。でも、違うよね。東京の生きづらさを認識した上でなおかつ立ち向かっていく闘争心のような意志を前面に押し出してくる。強いなあ。「戦わなければ負けないし、必死にならなきゃ傷つかない、そんなことわかっているけど」と前提した上で、なおも戦いを挑もうという強い意志を歌っている。困難を乗り越えてでも向かっていきたい目標はあるけれども、それを阻むのは結局は自分自身の弱さだったりする。もちろん状況は時代時代で変わっていく。バブル前の成長期とデフレ20年の今とでは同じことをやるにも困難の度合いは違う。しかし生きている時代を変えることは出来ないのだし、成長期の人であれデフレ時代の人であれ、戦うべき敵が自分自身の弱さであることに変わりはない。そう考えると、彼らがこの曲で示すメッセージは、昭和の頃のメッセージソングと基本的な部分は変わらないのかもしれないと思えてくる。そもそも音楽で成功するなんて夢は、バブルの時代だって超狭き門だったのであって、そういう意味ではミュージシャンというものが夢に向かう時の困難さはそんなに違っていないのかもしれない。ある意味、冷静でまともな神経が数本抜けたような存在がミュージシャンなのであって(良い意味でです)、そういうミュージシャンが発する無責任なまでのポジティブメッセージというのはいつの世でも若者には勇気を与えるし、今のような時代だからこそ、そういったメッセージソングの重要性は高いのではないだろうか。
(2019.8.9)
(レビュアー:大島栄二)
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