南蛮キャメロ『モノダネ』
Part-Time Friends『Born to Try』
clammbon
『Lush Life!』
ツイート
産業として音楽があって、売れれば続くし売れなければそれまでで。なのに売れなくなっても止められなくて、創造活動を。だからどんどん作って作ってやめればいいのに作り続けて、だって止めるってことは人生を止めるってことだよっていう気持ちはわかるし。それも産業の中でであれば出会うこともなかったはずのものまでネット時代には目に触れる形で存在することを許されて。だから作品が海のように溢れ続けて、その洪水の中で価値のあるものに辿り着くことが今度は困難になってしまった現在。
それでも、こうしてクラムボンのように大切な価値を持つ音楽は時々目の前に辿り着いてくれて、聴くことが出来る幸福。こういうのを福音というのではないだろうか。何の福音なのかはよくわからないんだけれども。
どんな音楽にもアーチストにも熱狂的な支持者というのはいて、それをマニアと呼ぶのかどうかは別として、居て。毎日毎日公式ホームページを開いて眺めて新着情報はないかと張り付いて。公式Twitterなどをフォローしてリストに入れて毎日眺めて、ああ、あの人は今日こんなところに行ってるんだろうとワクワクしたり、数日更新が無ければもう2度とその声を聴くことができないのではないかとモヤモヤしたり。行動範囲にライブで来ると知れば発売日にチケットを買って。余裕があったら飛行機や新幹線でライブを追っかけ。そういうマニアの人がその音楽を好きなのは当然でライブのチケットは優先的に回るようにすればいいと思うが、そうではない程度の、普段は忘れてて、近くにライブでやって来るという情報さえ知らなくて、でもこうしてネットでその情報がたまたま目に入ってくれば立ち止まって、5分少々のその曲を3回くらい聴く。そういう程度の人は、ファンなんだろうか。ファンというカテゴリーに入れてもらえなくても、聴いていいはずだし、その人の人生の中でその程度の音楽が重要な位置に割り込んでくることはある。
例えていうならば、親戚の中にいる昔は時々遊んでもらったおじさんやおばさん、という感じなのではないだろうか。普段はずっと忘れているのに、おじさんが無くなったと聞けば無性に悲しくなってしまって、ああ、もっと会っておけば良かったと後悔をする。後悔をするものの、日常はあまりに忙しく、それほど忙しくなくてもおじさんにわざわざ会いに行く時間が取れるほどではなくて、結局はお焼香の場面で涙を流す時までその大切さに思いを致すことはできなくて。
1〜2曲を聴いたことがあって、その時には良いなと思ったけれどもそれっきり忘れてしまってそれでも別に良くて。でもそうじゃなくて積極的に追うほどのことはできないけれども、人生の中で時おり思い出したい、そんなアーチストは誰にも両手では足りないくらいいるはずで。クラムボンは僕の中でそういうアーチストの中のひとつ。そんな風に感じている人はきっと多いはず。この曲はライブ会場&販売希望店でのみ発売という特殊な販売形式を取っているため積極的に追っていくファンでなければ聴くことができない曲のひとつ。そういう意味ではやはり、そこまで追うことができていないファンにとっての福音のようなMVなのかもしれない。
(2018.8.28)
(レビュアー:大島栄二)
ARTIST INFOMATION →
このレビューは、公開されている音源や映像を当サイトが独自に視聴し作成しているものです。アーチストの確認を受けているものではありませんので、予めご了承ください。万一アーチスト本人がご覧になり、表現などについて問題があると思われる場合は、当サイトインフォメーション宛てに
メール
をいただければ、修正及び削除など対応いたします。