尾崎裕哉『サムデイ・スマイル』
ハンバート ハンバート『ぼくのお日さま』
尾崎豊
『僕が僕であるために』
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1980年代に尾崎豊が売れた理由が、実のところ正直言ってよくわからないのだ。確かにヒット曲はキャッチーだった。メッセージ性も強かった。メッセージソングを当時の若者が求めていたのも確かだ。渡辺美里がマイジェネレーションを歌い、佐野元春がSOMEDAYを歌い、ハウンドドッグは観客に拳を突き上げることを求め、聖飢魔Ⅱは観客を鑞人形にした。いや最後のは冗談として、そういう時代にちょっとだけ遅れてやってきた尾崎豊はバイクを盗み教室の窓ガラスを壊して回るという強烈なアピールをした。だが彼のアルバムに入っていた曲のほとんどは地味で暗かった。スタイリッシュな何かなど無くて、ただただ歌い上げるシンガー。当時、80年代後半はNTT株の高騰が話題になり、バブルと呼ばれる時代の幕開けを予感させていた。ディスコブームが興り、冬になれば誰もがスキー場へと向かった。そういう時代の、尾崎は寵児だったのだが、彼の中に巣食っていたのは、本当は中島みゆきや森田童子に連なるネクラなマインドだったのではないだろうか。この歌を聴いてくれ。歌詞を読んでくれ。沸き上がる好景気の社会の中も確かにある孤独。それを当時の若者たちは買った。「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない/正しいものは何なのかそれがこの胸に解るまで」と歌い続けてる。今、2017年の不景気の中で、若者たちは音楽にお金など使わずともやはり「正しいものは何なのか」を探しているのだと僕は思う。その探し方も答えも違うけれども、きっと目指すテーマは同じなのではないだろうか。尾崎は死んだが、多分「それ」が何なのかなんて解らず仕舞いだっただろう。死んでしまった者はその年齢のままで人の心の中に生き続ける。ファンの心の中で歌い続けているに違いない。残された同じ歌を、グルグルと何度も何度も。息子が「まだ解らないここにいる意味」と歌っても、その「意味」は父の「それ」とは違っていて、だから、どれだけ息子の歌を聴いたところで、父の答えが僕らに見えることは無いのだ。
(※2019.1.21時点で動画が削除されていることを確認しました。レビュー文面のみ残しておきます)
(2017.4.15)
(レビュアー:大島栄二)
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