Amelie『君が為に鐘は鳴る』
尾崎豊『僕が僕であるために』
尾崎裕哉
『サムデイ・スマイル』
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先日、小学生が教科として学ぶ道徳を巡り、ある教科書の記述が文部科学省の検定意見を踏まえ「パン屋」から和菓子を扱う「お菓子屋」に変わったとのニュースがあった。“和を重んじる”などではなく、名称がそうなれば、それまでそれはもうそれでなくなってしまう可能性が高くなる。パン屋は実際にあちこちにある。道徳を学ぶというのは教科書以外でも大きいが、街の中でパン屋を見ながら、教育の中では違う何かに変わるというのは枚挙にいとまがない。別にジーンズがデニムになろうが、甘味がスイーツになろうがいいものの、やはり在るものは在らないといけないような気がする。
いつからか明日や自由などといった大きな文字や概念は中心に近いどこかで叫べるものではなくなってきていて、辺境で解くものになっているきらいがある。さまざまな争いや軋轢は尽きず、だから目まぐるしく言葉は変容してゆき、意味は常軌をはずれてしまう。きっとそれは言い換えていける何かをシーニュとして探さないと、と思う。
すでに亡き尾崎豊の息子として注目を浴び、その声質といい、彼を彷彿させる部分もあるが、この曲を聴いていると、もっと優しい未来までの光の先まで日本語の叮嚀過ぎるセンシティヴな大文字の詩を執念に近く伝えようとしてくる気概と、また、柔和なムードが彼独自のものとしてある。尾崎豊は確かに偉大だったし、早逝ゆえに半ば伝説化してしまったようなところがある。でも、生きていたら…そういう「たら」はもう辞めよう。
最近のジョン・メイヤーのムードもとてもいいが、それを愛好する理由が分かる気がするそよ風のようなこの曲に吹かれながら、街を歩くのは悪くないどころか、いい。明日や未来なんて誰にもわからないから、せめて言葉だけは喪に服されないように。
(2017.4.14)
(レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
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