アライヨウコ『憂うつはコーヒーカップの中』
リコチェットマイガール『ターミナル』
Gotch
『Good New Times』
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ファウンティンズ・オブ・ウェインを思わせる詩的なサニーサイド・バブルガム・ポップ。同時に、エルヴィス・コステロ・アンド・ジ・アトラクションズのような影を忍ばせながら、モデスト・マウスの或る時期の息吹を継受し、いわゆる、アジカンのフロントマンこと後藤正文は、都市の中で花束を受け取り、市井の人たちに渡す。シリアスな様相が強まっていた時世でのこのバウンシーな路上文学的風情はうつくしい。文筆サイドでも、先ごろ刊行された
『何度でもオールライトと歌え』(ミシマ社)
に綴られた言葉の真摯さに胸打たれた人が多いだろう。この曲で、彼が言及するケルアックの『路上』などとは日本ではどうにも時差や温度差があっても、なにかしら奔放な自由への渇望が軽やかに伝わってきて、曲とともに、映像からもデカダンなぬめりがしないのが心地良い。
殻にひきこもるよりも、路上で転げ続けることで、出逢うハプニングの方が未来を描く可能性がやはり高いからだ。歌詞にも触れられているように、世界中からスマホやタブレットからタップして、この曲に触れて、棘のない花束を誰かに渡すことができるように、花屋で時期に応じたブーケを仕立ててもらえることができるようになれば、越したことはない。
花を植えよう そこら中に
種を蒔こうか 街中に
いつかきっと目に見えるように変わるから
(『Good New Times』)
いずれ、花畑が世の中の不穏さを覆う筈なのだから、その花が枯れる間に詩を、音楽の哀切を紡ぎ合い、また、自分なりの日々を全うすればいいと思う、今だけは。
きっと、なだらかに佳い2016年がこれから街のなかで「約束」され交うのを希う。
(2016.6.4)
(レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
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