Orwell『Every Time The World Is Too Loud』
Gotch『Good New Times』
アライヨウコ
『憂うつはコーヒーカップの中』
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なんてことない女性シンガーの弾き語りソング。でもなにかひっかかるんだよなあ。僕が一番ひっかかったのは「(コーヒーを)飲むのだ、飲みほすのだ」と繰り返される男性言葉の語尾。「〜だ」が男性言葉なのかという問題や、男性言葉だから女性言葉だからというのは性差別じゃないのかという問題は確かにあるだろうが、文化としてそういう言葉が存在するのは事実だし、一般的な比率として「〜だ」という言葉は圧倒的に男性が使う傾向にあって、だから、女性シンガーが「〜だ」という語尾を使うのに接すると一瞬「おっ」と思う。思うというより、感じる。もし、このシンガーがフェミニズム的な信念を持っていて、男であろうと女であろうと同じ言葉を使うべきという生き方をされているのであれば別(そしてそれももちろんアリ)だが、思うに、この言葉遣いを用いることで生み出されるインパクトを、意図的に使っているのではなかろうか。前野健太というシンガーがいて、彼は曲の中で女性言葉を多用する。ギターの弾き語りと異性の言葉から、彼の歌を思い出す。異性の言葉を使って歌を表現することで、まず違和感から来るインパクトを受け、その先に性差を超えた意志や感情をさらに感じることがある。この曲の主題でもある憂鬱とコーヒーカップの関係性は正直言うとやや曖昧な印象があるのだけれども、この人(歌の主人公)が部屋でコーヒーを飲みほす時の心の揺れというものはリアルに感じられる。何がそんなに憂鬱なのかはよくわからなくても、コーヒーを飲む時に単に美味しいというだけじゃない何かがあるのだなということは聴いてる僕の心の中に染み渡るように広がっていく。
(2016.6.3)
(レビュアー:大島栄二)
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