SaToA『手紙』 Next Plus SongMasayoshi Fujita『Tears of Unicorn』

高野寛
『dog year good year』

LINEで送る
 高野寛のデビュー当時はまさにツルッツルのスベッスベという感じで、洗練されたポップサウンドにはお育ちのいい人の育ちのいい音楽は違うなと、彼の経歴などまったく知らないくせに先入観で思っていた。CUEというアルバムはデビューから2年後の3rdアルバムで、昨今の音楽シーン事情からすればずいぶん悠長なことだなあと思うが、3枚目にしてようやくオリコンの上位を占めるようになった彼の、やはり代表作といっていいのだろう。若かった僕も漁るようにたくさん買っていたCDの中でも特によく聴いていた1枚だった。その高野寛をずいぶん久しぶりに生で観る機会があった。musiplでもレビューを書いてくれている本田みちよさんがやっているMUSIC SHAREの京都版がスタートし、その第1回目のゲストが高野寛だった。彼はこのところ京都精華大学というところで特任教授として若者を指導しているということで、京都には毎週通ってきているとのこと。学生と一緒に学食の横でフリーライブをしたりしてて、「僕のこと知ってる人〜?」とMCで問いかけるも反応が薄かったとMCで笑っていた。そりゃそうだ。1990年のヒット曲を25年後に、20歳の若者が知っていると期待するのが難しい話。でも、彼のステージは素晴らしいもので、それを年輪というべきか、経験というべきか、それとも才能と呼ぶのが正しいのか、それはわからない。わからないけれど、とても良かったのだ。それは力がいい具合に抜けた自然体の良さ。力が抜けているから、学食の横でライブをしたりもできるのだろう。この曲は昨年リリースされたアルバムに収録されていて、バンドサウンドのアルバムバージョンの動画もある。そのバンドサウンドも25年前に較べたら力が抜けたテイストなのだが、この自宅かどこかで表情も薄く歌っている高野寛の弾き語りを見てしまうと、こっちの魅力に惹き込まれてしまう。そう、京都のライブはそんな感じだったのだ。バンド編成ではあったけれども。音楽を志す人は時としてかつての栄光に押しつぶされたりするものだけれども、そんな悩みとは関係なく淡々と続けるためには自然体であることがとても大切なのだろうし、それは音楽に限らず人生すべてに言えることだとも感じさせてくれた、そんな、いいライブを見せてもらったなと思ったのである。
(2015.12.12) (レビュアー:大島栄二)
 


  ARTIST INFOMATION →
         
 


 
 このレビューは、公開されている音源や映像を当サイトが独自に視聴し作成しているものです。アーチストの確認を受けているものではありませんので、予めご了承ください。万一アーチスト本人がご覧になり、表現などについて問題があると思われる場合は、当サイトインフォメーション宛てにメールをいただければ、修正及び削除など対応いたします。