比留間早紀『Strawberry/sour-sweet love only you』
Disclosure『Jaded』
星野源
『Snow Men』
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「世界」(と呼べるような代替語がまだ、あるとしたら)が「あなた」に直結する気味の悪さに距離を置いていたとしても、現在、少しの気力や暇があって、検索能力があれば、全く知らない誰かの「恋愛的な何か」を模した映像に触れることができる。数秒の間のキス、抱擁動画、それらがなんの意味を成してなくてもいい、ただ、瞬間に「強度」だけを示していて、それが、いや、それ(ら)が共有される紋切型の空間に砂流みたく消費され、確認されるのならば。「確認」することに意味があり、確認のあと、物申すのは体裁が悪い。
「体裁」という言葉が不自然ならば、格好が悪い。イコールの向こう側には甘い幻惑性が待っていると思っていた人たちは“こじらせた”自意識の束と置換させられ、マイルド・ヤンキー層が車中で「もうさー、EDMもだるいよね」って言葉が郊外のファッション・ホテルのLEDを煌めかせる中で、いざというときの夜景は誰のためにあるのかと想うと、今は手書きされてしまうなにか“かもしれない”ということだ。どこかから、どこかへ国境線を越えるには指紋、番号、あれこれ、「個」が要るようになったくらい悲しい瀬に、誰かが誰かを護り、愛し抜くという当たり前がドラマティックな耀きを反転し、呼び起こすことになったのは「物語性」が愈よのこと、破片的になってしまったからだと思う。予告編でうんざりして、本編でどす黒い気持ちになってしまう映画に中ってしまうより、西野カナのラブソングのように、とにかくなんでも「会いたい」のエゴを越えた切実さ。それはとても悲愴に「〇〇モールで迷い中なう」みたいなツイートと近似する。ミスチルの後でもないが、back numberが鮮やかにホームメイド・ラブソングの極点を突き詰めていき、ゲスの極み乙女。や、米津玄師はカラフルな色彩を増し、コミュニケーションのための音楽としての焦点を絞り、サカナクションはパスティーシュに意味を投下し、役割期待を少し逸らし、その他の日本のバンドやアーティストは一層、速度とイロニーと自家中毒性を笑い飛ばしてゆく。そして、現在、多方面で八面六臂の活躍中の彼の歌のひとつはこうして、リズム・アンド・ブルーズへの傾斜を魅せる。セクシャル過ぎず、落ち着いて、とても和的な身近さが“らしい”。プリンス、ディアンジェロ、岡村靖幸再評価の波の中の国民的総和など身軽にスルーして、この曲では70年代のニューソウル的なサウンド・メイクに昨今のファレルからのリヴァイヴァルした、もたったリズムをインナーヴィジョンに映し、からっぽな夜に溶かし込んでいる。不穏で典雅な部屋、目隠しの女性たち、記号的なタイトなファッションで艶めかしく歌う彼の声は遠心性をもって、手書きまではいかずとも、フィクショナルなほどにSM的な箱庭のアート性を用意せしめる。どこかに属しながら、どこにも属せず、中心を射抜き、中心からまた虚空を目指すような彼の視線がとても様に合う佳曲の内奥には“2015年らしい空疎さ”が漂っていると思う。誰もが縛られたがっている、という。
(2015.10.20)
(レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
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