クラシック・ミュージックのフィールドに“プロジェクト”という形で、ポスト・クラシカル系のアーティストがストラヴィンスキーやショパンを再構築しようという試みの痕には、前史、受け継がれたスコアへの敬意が示されながら、そこから脱皮していこうという果敢な姿勢が反射もして、華麗に舞う反復性に魅せられることがある。エリック・サティの昨今の奇妙かつ当然ともいえる、サウンドアートなど多方位からの再評価に並び、エストニアのアルヴォ・ペルトへの気鋭のアーティストの真摯な視角やトリビュートの仕方もそうだが、ロマン派への再定義のみならず、ミニマル・ミュージックの持つハーモニーの複層階と、時間論の差延性への動機付けがより地表化されてきているのは興味深く、まさしく「鏡の中の鏡(Spiegel im Spiegel)」の様な概念に沿う気さえする。
アイスランド出身の1987年生まれの気鋭たるオーラヴル・アルナルズは、元々、ヘヴィメタル・バンドのドラマーをしていた関係や紡ぐ音の彩りから、ポスト・ロックやエレクトロニカと共振し、同郷のビョークやシガー・ロス、また多くのアーティストからの称賛やツアーへの参加などもあり、注視を集めていった、その途程こそポスト・クラシカルという枠の中で紹介されるケースが多かったものの、作品やライヴを重ねるごとに、より細部へと降りてゆく意匠は、ミニマル・ミュージックの悠遠な歴史に名を連ねる、そんな要素もより汲み取れるようになってきている。この、現代クラシック界の才媛のピアニスト、アリス=紗良・オットと組み、満を持して挑んだショパンへの在り方が面白い。抑制のきいたミニマルな音像を基調に、アリスの弾くプリペアード・ピアノの“一音のために”成り立つ空気感までも実験対象として滲ませようとしている。だからこそ、例えば、「プレリュードNo.15(《雨だれ》)」でもあの美しい旋律にどことなく、不穏な気配が漂う音構成になっていたり、オフィシャルで公開されているMVでも雄大な自然現象とシンクさせていたり、アート性の高いものが多いのだが、それもまた静謐に重厚なエレガンスを持って迫ってくる。
晴れ渡った空が続いても、雨空に打たれても、その雲や天候の変位が必ずしもいい予感だけを連れてくる訳ではない当世に、彼のコンポーズに依る楽譜の骨組みが軋みを立てる危うい麗しさは、聴き手が音楽の向こうのじんわりと行間の“天気を読むことができる想像力”を促すようなコンパスになるのでは、という期待も寄せられる。ショパンやクラシック・ミュージックにどこか取っ付きにくさや縁遠いものを感じていた方ほど触れてほしい作品と思う。