くるり『The Pier』巡礼

              ―私たちの耳は見えているか  文=松浦 達

テクスチュアを編み直すための幾つもの導線

 「2034」という“部屋”から、幾つもの季節を抜け、「There is (always light)」での““少し先の未来”に向けての“生きなければ”という強い想いとの旅立ちの過程には、多彩な音楽性と別離や悲しみ、重い覚悟が撥ね合わず、共鳴し、これまでどりのくるりを聴いているようで、新しい文法や配列に気付く点が多い。そういう意味では、ここから、くるりを更に“気付き直す”人も居るのだろうとも。

 リリース的には2年前の前作『坩堝の電圧』期のダイナミクスの延長線上にあった「Remember me」から始まる。2013年の年明けに配信リリースされ、メジャーデビュー15周年記念シングルとしてウィーンでのストリングス・レコーディングが行なわれた曲。筆者は当時、音楽メディアのクッキーシーンにて、こういったことを記していた。

  “1998年から2013年の時間軸のなかで、くるりが常に視てきた景色の変節、刹那性と、相反する普遍性が組み込まれてもおり、「東京」から「Remember Me」までに出された曲群、アルバム群、多くのライヴ、主催の京都音楽博覧会の立ち上げまで入れると、感慨深さというよりも、その苛酷な過程にて自らをメタ的に、言祝ぐようなシングルかもしれない。くるりのための記念でもあるが、くるりからの混沌たる日本の音楽シーンに向けた祈念的な何かを込めた、というような。”

くるり「Remember Me」-COOKIE SCENE

 これは今でも変わっていない。ライヴでも「Remember Me」で込み上げる何かがある。それは日本だけの慕情かと想えば、beehypeという世界中の音楽を紹介するサイトで、彼らとこの曲について触れた折、MVだけでなく、自分が行くことはあるかないか、という国からも反応があった。

QURULI「Remember Me」- Beehype

 しかし、正直なところ、当時、このアルバムに入ってくるような予感はなく、シングルとして既にクラシックとしての空気感が備わっていたのもあり、全くの別フェイズに入ってゆく気もしていたのは、「ロックンロール・ハネムーン」という曲の持つ特性に魅かれたのが大きい。オルタナティヴで在り続けることで、正解が何か分からなくなってくる瀬というのは、“未来や希望的な何か”を綴るにはかなりの難渋を極めると思う。

 「明日にはいいことがあるよ」と言えば、どうにかなる時代の艱難さは十二分に潜在化されているからで、「ロックンロール・ハネムーン」から見える綿ぼうしの夢にはポピュラー・ミュージックの持つロマンティシズムの肌理細やかさがある。加え、この曲には『The Pier』にも繋がってくる“遊び”の部分が活きており、その後のシーズンズ・ソング「最後のメリークリスマス」まで何のいびつさもなく、既発曲が入っているのは「loveless」にもフレーズが出てくるテクスチュアによるのではないかと思う。

  Textile-編み物のように紡がれた14篇は、単独でその曲が成り立つのではなく、流れとして、例えば、「Remember Me」、「遥かなるリスボン」では前者の余韻を受け止めながら、より拡がりをもたらす。

 ポルトガルのリスボンは旅行で岸田氏が訪れて、魅惑された都市と何度も言っていた。日本人でポルトガルに魅了される人は多い。かく言う筆者も何度も訪れたことがある訳ではないが、港からの風、路面電車とどこかのバーから聞こえてくるファドの哀切まで、馴染む感覚をおぼえもする。1993年に初版が刊行された原田淳一郎氏の『ポルトガル紀行』(彩流社)で、こういう描写がある。

  “ポルトガルの旅は、私達日本人にとって、原点に立ち帰る旅のような気がする。それは、日本へ来た最初のヨーロッパ人という事実や、西洋の文物が彼等を通してもたらされたという証拠もさることながら、ポルトガルの国および人々の持つ、なんともいえぬ優しい雰囲気に原因があるからに他ならない。” (「はじめに」)

  “リスボンという伝統のゆかしい町で特に、子供の頃に住んだ町の面影であるとか、もう今は亡い祖父の風貌など、昔の古い思い出がよみがえってくる経験をする。”

 “路地のそこここに、妙な寂しさがありつつも、逆にほのぼのとした味さえ匂ってくる。” (「リスボン―なにかを思い出させる町」)

 新しい懐かしさ、自身は当時は生きて、知っていないけれども、知っている感覚も含め、リスボン、ファド、サウダージとくるりが常々持っていた情感は近似すると思う。

 



フィクショナルな郷愁、知り得る範囲の未来

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