必然補足としての外縁
当該作品に直接、触れる前に、巷間の外縁にも触れておきたい。今は「単一/作品論」で完結し得ず、環境因子と対照化の構造に準拠するところもあるからだ。
総務省統計局が先日8月8日に、「家計簿から見たファミリーライフ」というものをリリースした。
その第三章では、「家計から分かる暮らしの特徴」となっており、平成25年とは、いわゆる「アベノミクス」効果など、家計消費の動向に影響を与える特徴的な要因があると記されている。それは、景気回復への期待感による消費者マインドの改善などによった花見弁当、高級時計やハンドバッグ、旅行などの消費増加だという。これは、あくまで家計調査結果からの分析、解説なので、大文字のまま受け取れる部分は限定的になるのはやむを得ないが、少しの贅沢、プレミアム感への意識が高くなっている市場へ企業はよりターゲットをあてている。例えば、いつも飲んでいるお茶、ビールより、今日は少し贅沢に、何十円かの差でも、その“少しの贅沢を(今日は)しよう”という行動が連鎖していけば、賑やかになる、潤う場所はある。それぞれの今日は、当たり前に違うからこそ、質素倹約してきた日々だから、海外に初めて旅行に行こうか、外食をしよう、など気持ちの余白が生まれる。しかし、消費税が8%に実際になり、そこからの天災から政治的な状況の変遷下で、多くの家計でそういった余白はかなり絞られてきているともいえる。
並列的に、参照としてこういった記事も話題にもなった。
新聞が終わる前に音楽業界が先に終わりそうな件 ―BLOGOS 2014年7月21日
YouTubeや配信のくだりは一理あるだろうが、音楽を求めるアティチュードが変わってきているという面もある。“クラウドファンディング”も音楽のみならず、複合的に使われているが、過剰にプロジェクトが溢れると、こういった“善意”のシステムはそこまで互恵性、とある程度の透明性を保てるのか、問われるようにもなるケースも増加すると察する。
CDというパッケージングの(非≒)魅力性、限界は個々にあれども、アナログ・レコードに戻る層もいる。同時に、ハイレゾ音源に注視が集まってもいる。
CDを超える「ハイレゾ音源」に脚光 -Sankei Biz 2014年9月10日
音に拘るミュージシャンにとっては「丸裸にされるくらいに近い」恐怖もあるようだが、例にもれず、岸田氏は、4月20日の一連のTwitterで詳細に触れている。
“青山のビクタースタジオにお邪魔して、ハイレゾ再生の為に尽力していただいている技術者の方に技術的なお話を伺い、分かり易く言う所の配信用mp3音源、CD用マスター音源、ハイレゾ配信用音源を比較検討する為に、自分たちの曲をそれぞれ聴かせていただいた。”
“自分の主観だけれども、圧縮されたmp3音源と、自分たちが普通に親しんでいるCD音源との決定的な違いは、再生機器によって差異の大小なのかなと思った。勿論、CD用マスターの方がいい音はしているんだけれども。”
“ハイレゾ音源を聴いて、前者2つとの決定的な違いを、音楽として感じてしまった。それは、ミュージシャンである我々が、録音時に聴いている感覚に驚くほど近い。若しくは、曲を作った時の感覚に近いということ。”
“これが何を意味するかと言うと、音楽はCDなりレコードなりスマホなり記録媒体によって、枝葉が付いたり、本音が伝わりにくくなったり、そういうことが容易に起こりうるということ。それの良し悪しは、色々で、必然であり当然。”
その後も、音楽業界を取り巻く状況から信頼できるスタッフ、信頼できる音響スタッフたちと紡がれる音楽がリスナーにしっかり届くということ、アーティストとレコードメーカーの関係など怜悧な視座から描かれている。
【Togetter まとめ】
なお、くるりは「ロックンロール・ハネムーン」、「ロックンロール・ハネムーン tofubeats remix」がハイレゾ配信されており、『The Pier』の初回限定版には「Liberty&Gravity」のハイレゾ音源へのダウンロード・コードがついている。
カルチャーへの意識、ビジネスとしての音楽、高品位の音響、この三点は、無論、乖離もせず、密接に関わり合う。
→テクスチュアを編み直すための幾つもの導線
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