排除しないこだわり

              ―GREAT3『愛の関係』によせて  文=松浦 達

悼む痛みを抱えて進むこと

 GREAT3の2012年の9年ぶりの活動再開は、ミュージック・シーンに大きなメルクマールになった。解散でもなく、活動休止期間が長くなってくると、余計な心配も生まれてしまうのは常で、特にポップ・ミュージック・シーンにおける時代の速さと活動そのものを続けることは厳しくなっている。ただ、このmusipl.で紹介されているように、数多く多彩な音楽は生まれ、引き続き航行している。

 なお、2012年の再開後のフル・アルバム『GREAT3』に対して、筆者は音楽メディア、COOKIE SCENEにて、当時、こういったことを書いていた。

 “再結成という言葉は彼らには相応しくなく、再始動というべき、実に9年振りのセルフ・タイトルたる紛れもない、GREAT3の新作。片寄明人が語るように、04年以降に活動を停めていた中、多くの近しい人たちを亡くし、震災を経て、そこで、GREAT3をやっていない自身の後悔を深く考えたゆえ、覚悟として再び始めていこうという経緯。ここには原初メンバーの高桑圭は居ないが、白根賢一氏、更には新しい「3」になった、現在、22歳というjanが正式に加入し、瑞々しさと衝動と独特の洗練したセンスが貫かれ、新しく彼らが始まってゆく予感に満ちている。”

 新しく始まってゆく予感と、過去への巡礼。悼みと痛みの間を縫い、常に綱渡りのように現状に多彩な音楽で、シーンを切り拓いてきた彼らのその9年振りの作品内に「彼岸」という曲が入っていた。多くの意味と祈念的な何かを噛みしめるような、片寄明人の歌詞と熱を帯びる歌唱、それを白根賢一のドラム、janのベースが堅実に支え、長田進のエレクトリック・ギター、堀江博久のピアノも絶妙に色味を加える彼岸へ向けた唄。そして、ブックレットのSpecial Thanksには、志村正彦、レイ・ハラカミなどもう「此岸」にはいない人たちの名前があった。


 MV『彼岸』

 泣き疲れた / その後に / 心の内側 / 君を感じてる / わかるんだ

 そして、2013年の8月に筆者も訪れたのだが、HMV GET BACK SESSIONという企画で、1997年のオリジナル・アルバム『ROMANCE』の再現ライヴを大阪で終えて、楽屋で少し話をした片寄明人は「辛かった。」との言を述べ、思えば、GREAT3とは打ちひしがれたものの感情を繊細に取り上げ、歴史上の多くの音楽語彙を用い、表象してきたアヴァンギャルドなバンドでもあったことを再確認した。『ROMANCE』は作品としての素晴らしさとは別にドロドロとしたサイケデリアが色濃い“危うさ”が魅力的なもので、こんな曲が入っていた。

 苦しめば / 死ぬまで / 泣いてすがって何度も / やり直し 情け容赦 / 無くて当然 / こんがらがった人生 / 因果応報 (「R.I.P.」)

 「R.I.P」から「彼岸」。このつながりと今こそ、強く「生」的な何かへ視座を向けてゆくさまはやはりキャリアを重ねてきたがゆえに、届いたともいえる。

関係性と肉体性

 元来から、ネオアコ、アノラック、ビーチ・ボーイズ、ニューソウル、ディスコ、シカゴ音響派、MPB、ニューウェーヴなど多くの音楽からの影響をトレースするセンスと、負を見つめる真っ当なアティチュードに力をもらった人たちも多く居るだろうし、こういった今こそ、よりあるとも察する。“負的な何か”とは、決してネガティヴな大文字を指すのではなく、そこに「在る」そのままの現実でもあるからだ。

 9作目となるこの『愛の関係』では、実に結成20年目にして、アナログテープによるレコーディングを行なった果敢なポップ・ミュージックへの挑戦であり、マッド・サイエンティストが実験の結果、編み出した成果が仄暗い世の中で怯えている人たちの背中を押す、そんな熱量の高さを感じさせる。

 加圧とオブセッションが強い音楽があふれる中で、ムーディーにかつ、柔らかな行間の贅沢を愉しめる作品になっており、ここにはアシッド・フォーク、マーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールドなどニューソウルの滑らかさから、昨今のフェニックス、MGMTなどがパラレルにポップ・ミュージック平衡感覚を反転せしめつつ、ウォッシュド・アウトやユース・ラグーンなどのチルウェイヴがポスト的に「肉体性」を求めだし、それらがネット上だけで完結せずに、しっかりとフェスやイヴェントで共存する自明性をも弁えている。

 何かの元ネタ、オマージュを動画配信サイトで探していけば、自然と最後には最初に戻っていて、オリジナルのものに還る。そんなことはあるが、今作もアクチュアルに2014年の作品なのは間違いなく、GREAT3の軌跡も昇華された力強い作品になっている。

 ジャケット写真やアルバムも気鋭のjanが前に押し出されているが、アルバムの中で飛躍的に存在感を増したことを考えると得心する。冒頭の「丸い花」からjanの作詞・作曲でボーカルも担っている。水たまりに小石を落としたときに広がる電子音の波紋のようなイントロは“聴く水墨画”のような淡さで、そこからワルツ調な美しい展開に入ってゆくところに感激する。サイケにトリップする陶然たる拡がりの中で、ピースしてるマエストロ、卯年のミニシタール、お妃への恋といったフレーズから際限なく浮かぶイメージ。そこから雪崩れこむ、タイトルにもなっている「愛の関係」は、ポップでGREAT3らしい佳曲。エロティックに頽廃と死的な何かを柔らかく内包しながらも、決して、聴き手を追い込まない。ただ、ギター・リフやシンセやサウンド・アレンジメントの妙は流石といえる緻密さで、ソフト・ロックとファンクネスが鬩ぎ合っている。

 素敵にも / 地獄にも / 変えるのは / 自分次第 / この心ひとつで / 愛の関係

という今、この瞬間に向けての強いメッセージとともに

どうせいつか / いつか死ぬんだろ / 崖っぷちで笑いたい

という、か細い主観の混在も「愛の関係」の「関係」の力学を強めている。哲学者ウィトゲンシュタインの後期に言語ゲームという概念がある。言葉の意味内容とは、用いる人間の間の関係性・了解によって決定されるがその卓上に並ぶカード(言葉)は恣意的な関係性を含む。だから、誰かに「関係する」ということは寧ろ言語ゲーム的ではなく、肉体性を帯びるではないか、という反転解釈もしてみると、「愛の関係」は特定規範、それこそ決まった文法の言語ゲームからの脱却を図っているような気がする。

 「Don’t Stop」では、ニューソウルの時代の香りを感じ、2003年の『climax』の際と通じる温度も感じたものの、あの時はもうすこし寂寞としたところがあり、事実、ビートルズの『アビーロード』状態だったと片寄氏がインタビューでは言及するように、オリジナル・アルバムとして一旦の区切りなってしまったものだった。しかし、「Don’t Stop」は、とても前向きな空気感を孕んでいて、早速、ライヴが楽しみになってしまう。繰り返される“諦めない”、“yeah”という掛け声も響く。


喪失した夏のあとに

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