音楽で見られる夢や幻想を再定義するために

              デデマウスというアーティストの矜持  文=松浦 達

デ・ジャヴという未知

 デデマウスと筆者は同世代、簡単に言えば、同学年になる。だからなのか、通過してきたカルチャーや彼が見据える景色や言葉には共振してしまうことが多い。バブルを知らないこと、テクノ・ミュージックへの影響、ニュータウンへの視座など。

 00年半ばを経て、じわじわと彼の存在が地表化しだした頃、そのキラキラしたサウンドに宿るロマンティシズムには、年季の入った反転しての世の中に向けての否定精神や強烈な疑義呈示を持っている、そんな印象を得た。なぜならば、目の前が満足で事足りていて、自身の想い通りのままならば、音楽を奏で始めないだろうし、平和な映画や書物、ゲームや娯楽とともに流れていけるからで、郷愁に満ちた、たおやかなメロディーに《Warp》レーベルから影響を受けた90年代のエレクトロニカ、テクノ直系のサウンド、80年代的なシンセ、そして、カット・アップ・ヴォイスがもたらすオリエンタルな昂揚と眩しさにはデ・ジャヴ(既視感)とともに、ずっとそのものを視ていけば、そのものなのか分からなくなるようなジャメ・ビュ(未視感)が備わってもいた。いわゆる、一般的に「美人」と呼ばれるような女性が目の前に居て、顔全体を視る、そして、化粧越しの皮膚、そのままの皮膚から神経線維、素粒子のレベルまで「視て」ゆくと、最終的にそこには原基があるだけで、またじわじわと視覚を引いていくと、見慣れた人間の顔になる。そんな風に、「baby`s star jam」という巷間に彼の名前を知らしめたといえる曲を聴いていると、不思議と田舎の鐘楼を喚起させる情景と銀河の先へ想いを馳せるとともに地面から足が浮いてしまうファンタジーが混在している、デ・ジャヴという未知の感覚を受ける。


「baby’s star jam」PV

自然の誘惑、内面の美学

 彼自身はそういったカテゴライズではなく、シンセサイザーミュージック/ニューエイジ・ミュージックの派生といっているが、ダンス・ミュージックとは機能性やサウンドの妙もあるが、セクシャルな要素も欠かせず、デデマウスの音にはセクシャルな部分も感じた。それは、宇宙という未果てぬ概念や郷愁に駆られることはエロティックな脳内での想戯という気がするからで、ダイレクトに何かに触れることほど非・エロティックなことはない。彼の曲名には銀河、空、星、日没、光といった言葉とともに、女の子や少年、そして、自由、孤独までが並列に連なる。カオティックさとVJにも凝り、作品を重ねるごとに(こういうジャンルでは称賛的な)独自の記名性を持つ音風景と美学を浸透させていき、世界中の気鋭のアーティストともシンクしていった。



NOTを掲げる決意

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