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ノンブラリ
『凪』

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 さみしくなるのを止めたのだ。盲点だ。さみしくなるのは止められるのか。そうはいっても悲しいことやさみしいことが起きたとき、人は悲しくなったりさみしくなったりするものではないのか。違うのか。どうやら違うようだ。ある特定の状態になったら必ずさみしくなったりするのではなく、自分がさみしいと思うから、さみしくなるのだ。考えてみたら「さみしい」と「さみしくない」の中間に明確な1本の線が引いてあるわけではなくて、「めっちゃさみしい」と「まったくさみしくない」の間になだらかに様々な感情の状態が存在しているわけで、自分の心がその中間のあたりに在った時、それを「さみしい自分」と決めるのか「そんなにさみしくない自分」と決めるのかは、すべて自分自身の心に委ねられている。
 歌詞の中でいろいろな状態の対比がされていて面白い。どれも面白いけれど、特に好きなのが「満足ではないが不足はない」と「まやかしではあるが嘘ではない」というもの。とても哲学的な表現だと思う。まやかしと嘘は別モノなんだ。なるほどなるほど、参考になる。その両方を混同するから人は生きづらくなるのかもしれない。もちろんまやかしと嘘との間にもなだらかないろいろなごまかしがあるんだろうし、どこでまやかしとうその線引きをすればいいのかは難しい話だけれども、まやかしと嘘が別のことなんだということを知っておくことは、人間が生きる上でのちょっとした智恵なんだろうという気がする。
 そういう智恵で、人がさみしくなるのを止められるのであれば、悲しくなることも避けられるだろうし、辛いと感じることも避けられるのかもしれない。心頭滅却すれば火もまた凉しではないけれど、人が人生を楽しむ上で、心の在り様というのは大事だし、それを自分の意思でコントロールすることができれば、どんなにか福音であろうに。
 ノンブラリを最初にレビューしたのが2013年。そこから約5年半が経過して、すごくいい感じのバンドに成長したなあと思う。その5年前にレビューしたのが「あの子いま何してるんだろう」という曲で、久々に聴いてみようと思ったら、動画が削除されていた。残念。でも大丈夫。さみしいことではありません。あの頃のノンブラリは今こうして素敵なバンドとして活動していることはこのMVで十分にわかるのだから。このほのぼのとしたテイストの演奏と哲学は、まるで令和のはっぴいえんどと言っても過言じゃないくらいの素敵さで、うだるような暑さの日々の中で一服の清涼感をもたらしてくれるようだ。
(2019.8.12) (レビュアー:大島栄二)
 


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