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3markets[ ]
『社会のゴミカザマタカフミ』

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 言葉が速射砲のように迸る。そのすべてが人を否定するための強い罵倒に満ちていて圧倒される。不安を人様にメイキングって一体なんなんだ。ゴビ砂漠よりも乾く心ってどんだけ乾いてんだ。ゴビ砂漠に行ったことないけど絶望的な気分にはなるよ。「オレは社会のゴミ/カザマタカフミ」「大変な底辺/人として零点」ってちゃんと韻を踏んでてストンストンと耳に入ってくる。サビで繰り返される「一生夏休み、一生夏休みしてる」というフレーズも本当にすごい。いや、休むことは大事だろ、夏休みはステキだろと思うんだけれども、一生夏休みだとさすがにどうかなと思うし、そう思うかどうかという以前の話として、言葉がまずどういうインパクトを与えるのかという時点で、この一生夏休みは強烈で強力だ。
 ここで歌われている具体的な名前のカザマタカフミはバンドのギターボーカルで、その人が「自分が社会のゴミだ」と言っているのであって、世の中に何人かはいるだろうカザマタカフミさんをゴミだと言っているわけではない。だから「世の中のカザマタカフミさんに失礼だろ、謝れ」という非難は的外れだ。3markets[ ]にも色々な曲があるけれど、基本的に社会不適合傾向の人の心模様を歌っている。それは社会に適合することができる人からするとすべてが社会のゴミにしか映らないのだろうが、不適合傾向の人からすれば社会に適合するために人は多くのものを封印していると映る。『猫の缶詰め』という曲では「悪いのは誰だ」という疑問を絶叫している。社会はいろいろなものが複雑に絡んでできていて、その中での純粋悪というものはなかなか見つからず。だから本当に悪いのが誰なのかなどわからなくて。そんな状況でラブアンドピースのような単純な正義を歌うということがどんなに難しいか。それでも社会で生きていくためには複雑な状況を飲み込み、暮らすための努力をしなければいけない。『猫の缶詰め」では自分を売った彼女がくれたチョコを食い、その口で何を歌えばいいのかを自問自答する。猫は缶詰めを何の躊躇も無く美味しそうに食べる。知性が無ければ美味しく食べられるものも、知性があるから美味しそうに食べられない。だったら人も知性を失えばいい。そうして社会に適合すればどんなに楽なのか。それができなくて社会不適合になるのであれば、それはそんなに悪いことなのだろうか。
 そうして、そんなことに悩み、こだわった歌を歌い続けるカザマタカフミがこの曲で「オレは社会のゴミだ」と、これでもかというくらいに言葉を重ねて主張する。それは適合するためには知性を捨て去らねばならない社会の、むしろゴミでありたいという強い意志であり、宣言のようにさえ感じられる。
(2019.6.6) (レビュアー:大島栄二)
 


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