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角銅真実
『Dance』

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 唯泣くだけだった乳児が言葉を喋れるようになる。誰かと意志を疎通させることが出来るようになる。いいことだ、いいことだ。
 言葉を覚えるといろいろなことを理解できるようになる。理解するということは、違いを認識できるということだ。ニンジンとトマトは違う。乾燥させて砕いて粉末にしたニンジンとトマトをスプーンで口に入れられたら、違うと区別できるだろうか。だが採れたてのニンジンとトマトは見ればわかる。違うとわかる。AさんとBさんは違う。玄武岩と花崗岩は違う。知らなければただの石が、知ることで違う石だとわかる。いいことだ、いいことだ。
 しかしそれは本当にいいことなのだろうか。

 人を好きになる。その理由はなんなのか。理由を知りたい。でも本当の理由を言葉で言えるのか。言えなくとも、好きなことはわかる。言葉がなければわからないものも、言葉などなくてもわかるものもある。言葉があることでわかりにくくなるものもある。だが人は言葉を獲得することで言葉にこだわるようになり、その結果わかることから遠ざかることもある。言葉によって、人は真実から遠ざかる。真実の一面でしかない切り取った表現をすべてだと思い込む。

 先日バスの中で障害を負っている人を見た。脈絡のないことを大声で叫んでいた。乗り合わせた人はその声を無いものであるかのように黙って無視した。僕も含めて。それ以外にどうすればいいのか。その人の頭の中にある世界はどんなものなのだろうか。叫んでいる脈絡のない声に託された世界はきっとあるはずだ。でもそれは届かない。届ける方法もみつからないし、届けられようとしている周囲の人が耳を心を閉ざしているし。
 じゃあ無視している人たちの頭の中にある世界はどんなものなのだろう。彼らはじっと黙ってバスに乗っている。スマホの画面を一心不乱に凝視しながら目的地に着くのを待っている。その人たちの頭の中の世界を知る術はあるのだろうか。

 言葉を獲得することで何でも知ることが出来るのだと錯覚する。

 全部が溶けてただの模様になる。角銅真実の歌うそれは、文明社会のアンチテーゼのようでもある。具体的な何かを獲得することで豊かになったと実感する。だがそれは真実の一部の側面でしかなく、獲得することで貧しくなっていることに気がつかないだけなのではないだろうか。

 角銅真実は東京藝術大学の器楽科を卒業というバリバリのミュージシャンであり、このMVでも軽やかで巧みなサウンドが前面に出てきているのだが、歌詞の深さに感動する。それは哲学的でもあり文学的でもある。焦らず急がずガツガツしない、そんな生き方を全面的に肯定してくれているようで、何かに行き詰まりそうになっているすべての人にとって福音になり得る、そんな歌だ。5分46秒のこのMVの、ちょうど5分で曲は終わる。残り46秒は無音で、絵だけがパラパラと動く。この46秒が良い。曲を堪能するには余韻が必要なのだと、よく考えれば当たり前のようなことに気付きもしていなかったよということを教えてくれているようだ。
(2018.11.16) (レビュアー:大島栄二)
 


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