2年前の9月10日、ライブハウスにいた時刻に着信があって、そのことに帰途に気付いて自転車を停めて路上で電話した。そこで話した約2時間のことは忘れられない。まさにそれは“It’s just useless to ignore”なことだったから。
自己責任という言葉が世の中を飛び交う時代。それは人々が余裕を失いつつあるということなのだろう。余裕があれば誰かを助けることもできる。だが助ける余裕が無くなったとき、自分にはもう余裕が無いのだということを表明するのが怖くて、自分がプライドを保つために「自己責任」という言葉を生み出し、だから助ける必要など無いのだと自己弁護する。あれは他者の責任を明確にするための言葉ではなく、自己を弁護するための言葉でしかない。放漫な経済を享受し、変化を怖れて研鑽や成長を蔑ろにしてきた結果、社会はいずれそのツケを払わされることになる。個人のツケを自身が払うのであればともかく、前の世代のツケを子供や孫の世代が払うことになるのであれば本当にやるせない。だが確実にそのようになってきているわけで、その中で他人を助ける余裕が無くなっていくのは想定の範囲内。ますます優しさも人助けも無くなり、それはその人のせいではないのだけれども、優しさを失っていく自身のプライドを保つために、自己責任という言葉で他人を堂々と突き放していく。社会の断末魔というものは、個々人の表面に見える生活の苦しさという様相の前に、他者への優しさを失っていくという、そのことによる心の崩壊から現実になっていくのだ。
2時間の電話で、僕は相手に対して現状を許せと話し続けた。今ある自分を受け止めろと。今のままでいいんだと。人は理想の自分になりたいもので、それが成長を促す大きな原動力となる。だが理想が遠のいたとき、その理想が心の足枷になることも多く、理想に向かって頑張れと言う言葉がダメージを拡大させる。他人からの頑張れはもちろんだが、実際には本人自身が無用な向上心で現状を否定することの方が大きい。他人の声は耳を防げば聴こえなくなるが、自身の心の声を遠ざける術は無い。理想を抱き続けたり現状を恥じることが続けば、自分自身による責めの言葉は消えることが無い。
ユーリズミックスの『I’ve Got a Life』は、ある人の『死に至る病』というタイトルのブログで取り上げられていた。なるほどなあと思った。アニーレノックスはカッコいいなあ。彼らはそのスタイリッシュなパフォーマンスで世の中を変えてきたのだと思っている。音楽にはその力がある。その変化と、政治や経済が及ぼす変化とでは圧倒的な差があるのだけれども、表現をするということで誰かの心を変えていくことが出来るし、そうやって心が変われば、内なる声に抵抗することもできるのかもしれない。自死者が年間何万人いるというのは統計上の数字であって、交通事故とどちらが多いなどと比較することも出来るだろうし、それが1割増えようと減ろうと地球規模で考えればたいした違いではないのかもしれない。だがその数字ひとつひとつに命があることを考えれば、そのひとつひとつの命に音楽が届け得る勇気や優しさというものはとても大きいのだ。
I’ve got a life, though it refuses to shine
I’ve got a life, it ain’t over, it ain’t over
I’ve got a way, it’s the only thing that’s mine
All I’m asking for is tenderness, a little tenderness, tenderness