土岐麻子の新譜を聴いていて。ひっかかるのは「Cry For The Moon」という曲だった。人間生きているといろいろなものを所有していく。所有はそれ自体喜びだが、その喜びが増えていけば増えるほど自らを縛る。持つことによって狭くなる部屋。場所に根を下ろすように暮らせば馴染むし、馴染めば暮らしやすくもあるが、文字通り根をはやした暮らしからは自由度が失われていく。ある日突然何かの事情で転居することになるとしよう。その時に足枷になるのは荷物だ。ひとつひとつの荷物には想い出がある。日々ゴミを出す。ゴミが生まれるのが生活というものだ。そのゴミを出す過程ですり抜けて部屋の片隅に置かれ続けるのが荷物だとしたら、荷物とは記憶と愛着そのものである。記憶と愛着は心の中にこそあるのであり、舞台としての荷物はその記憶を時おり確認するための寄り代でしかない。だが、その寄り代が手元に無くなったとしたら、僕らはその記憶と愛着を再び思い出すことは出来るのだろうか。