あの日から6年。早かったようで長かったようで、早かったような日々。僕もまた次の生活に突入してさらにまた新しい事態に突入して日々はめまぐるしく動いていくんだけれども、それでどこまで遠くにやってきたのかというと、結局たいした違いはなかったようにも思えてくる。そして、あの日と結局なにも変わっていないんじゃないかという結論に、何周も何周も巡ったあげくに到達しているような無力感。でもやはり日々は過ぎていくし、立ち止まっているわけにはいかず。無力ながらも前に進んでいくわけです。それが前なのかどうかはよくわからないんだけれども。
今年はじめに公開されたエドシーランのMVはまたたくまに再生回数を重ねて1億6千万回。いやあ、人気者ですね。彼もまた6年前にはアーチストとしては存在していないも同然だったのに今やこんなにも注目を受ける人になる。やはり6年という時間はとてつもない変化を生む。この「When I was six years old」という歌詞で始まる歌の主人公は、大人になって故郷に帰ることをこれでもかと喜んでいる。丘の上にある城の向こうに沈む夕陽を想い描いている。多くの友人が様々な人生を歩んでいるけれど、どういう人生かに関係なく、故郷のイメージというのはそういう固定された光景なのだろう。それはイギリスのエドシーランに限らず、世界中の誰もが持つ原点のような記憶なのかもしれない。
還りたいというのは、生まれた場所に限ることなく、誰もが持つ希望のようなものだと思う。誰もが、そこに還れることを儚くも願いつつ、祈りを込めて。