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大橋トリオ
『The Day Will Come Again』

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 銃声を何らかの形で聞いた人は居ると思う、日本でも、救急車のサイレンに近く。自身も国名は伏せるが、たまたま異国のナイトクラブで銃を向けられた記憶がある。何だかその瞬間は恐怖の感情というより、むしろ明鏡止水たる気持ちが沸き起こってきたもので、その場はうまく切り抜けたが、帰り路のホテルまでがとても遠くて、ベッドに辿り着いた時に一気に疲弊が襲ってきたのを想い出す。「抑止力」という言葉がある。武器には武器を、力には力で保たれる浸透圧みたいなもので、或る意味で、今の世の平和という恒常性(のようなそうでもない何か)はかろうじてその抑止力のバランスで保たれているといえる。スイッチひとつで変わるの平和という「状態」ではなく、外交「手段」での駆け引きの一環になる。そこに大きな壁を作ったとしてもミサイルは、ドローンなどは軽く超えてくる。

 銃口にせめて花を、と、暗がりで怯えるシェルターに光を、と希う。アメリカで今、再びジョージ・オーウェルの『1984』がベストセラーになっているということを知り、それはいい予感より、多様な危機感からトレースされたひとつの事実なのだと思う。どこかで、誰もが巻き込まれる、巻き込まれてしまう不意のどうしようもない危機に差異は然程なくなってきている。

 ただ、こういう曲を聴くと信じられる何かが眠っていることに少し安堵する。今年に気付けば、早いもので活動10周年を迎える大橋トリオをして、流麗で牧歌的だとか癒やし系、和み系なんて冠詞は私的には少し齟齬があって、どこか通底にどうしようもない悲しみ、慈しみの残像や、日々のなかでどうしても確実にどこかで喪ってしまう人間の持つ性(さが)や儚げな情愛の破片、欲望の箍や自意識の桎梏から少しふわりと距離を置いて、再び新しい陽射しで未来を追い越そうとしている情感が端々から感じられるところが魅力なのだと思うときがある。ゆえに、歓びや美しさも際立って視える。オリジナル曲以外の数々のカバー曲のなかにも。

 だからこそ、この曲名にも「The Day Come Again」ではなく、間に“Will”が入っているのも得心する。個々にとっては、マクロ大の世界情勢や枠組みを考える時間より、日常をサヴァイヴするのに懸命で、当たり前に、個人差はあれど、ふと途方に暮れたり、深く落ち込んでしまったり、自暴自棄に駆られたり、諦念に襲われたりするだろう。そんな折、大切な光明や少しの前向きな意志はそれぞれに異なりながら宿っているのだとも思うなかで、こういった歌は、そよ風のように、鳥の囀りのように、空模様の優しげな変容のように、それぞれの場に寄り添ってくれるような気がする。

 愛や光とは何かなど、不確定過ぎてあまりに大層で、大文字過ぎて自身では持て余してしまう概念だけれど、このMV、曲の柔らかな質感からはそれに近いものが感じられる。重力を抜けて、音楽とともに心だけでも自由に空を舞えるように。
(2017.2.7) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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