だからこそ、この曲名にも「The Day Come Again」ではなく、間に“Will”が入っているのも得心する。個々にとっては、マクロ大の世界情勢や枠組みを考える時間より、日常をサヴァイヴするのに懸命で、当たり前に、個人差はあれど、ふと途方に暮れたり、深く落ち込んでしまったり、自暴自棄に駆られたり、諦念に襲われたりするだろう。そんな折、大切な光明や少しの前向きな意志はそれぞれに異なりながら宿っているのだとも思うなかで、こういった歌は、そよ風のように、鳥の囀りのように、空模様の優しげな変容のように、それぞれの場に寄り添ってくれるような気がする。