満島ひかり『ミルク32』
nightmeal『瓶』
おぐまゆき
『音楽』
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なぜ響くのだろう、おぐまゆきという人の歌は。実際に会ってみるととても寡黙な人で、寡黙というより、人と話すのが苦手らしい。だったらコミュニケーションはおろか表現などできるはずも無かろうというのがまったくの間違った先入観で、この人は自分の心の中にある何かを表に出そうと懸命になっていく。それがたまたま歌という形になったに過ぎない。
最近ある友人と毎日のように語らっていて、その中で、人はどういう過程で人になっていくのだろうかということを考え続けている。心を病む人はこの国に溢れていて、魂がまだ幼いままに、自分とは何かという軸を持たないまま日々を過ごしている。小さい頃から勉強をせよと急かされ、その結果遊ぶ時間と機会を失い、本当の自分の興味とは何か、自分が本当に嬉しいと感じる瞬間とは何かということを知ることなく、与えられた問題を解いて点数の上で周囲に勝つことを喜びだと錯覚している。その延長線上で仕事をするようになって、金を稼ぐことが自分だと思い込む。仕事が生きがいだと思い込む。だが、仕事なんてものは人間国宝のようなケースを除けばいずれ失われるもので、それが突然訪れたりすると、唐突に自分には拠って立つ自分の軸のような物が無かったのだと気付く。意識的に気付けばまだいいのだが、それにさえ気付かずに喪失感に襲われる。そうなった時に、自分に自信を持って生きていける強靭な魂がどのくらい存在するのだろうか。
おぐまゆきの歌には自らの心の闇と正面から向きあおうとする勇気が存在している。単に社会に毒を吐くだけのような歌とは完全に一線を画した、他者ではなく自らとの対峙がそのテーマなのではないかと感じる。この『音楽』という曲では、失われた魂を取り戻すということが歌われている。友人との会話の中で魂の不確かさを考えている僕にはまさに衝撃の1曲だった。この曲を聴いただけで失われた魂が取り戻されるなんてことは無いだろう。そんなに簡単なことだったら誰も悩んだりはしない。だが、その端緒をつかむきっかけくらいにはなるのかもしれない。この曲が収録されているおぐまゆきのアルバムタイトルは『それでも歌は素晴らしい』だ。それでもの「でも」とは、何に対しての反意なのだろうか。そういうことを考えながら言葉ひとつひとつを噛みしめて考えるのも、音楽に接するひとつの正しい態度なのだろう。本来なら、英語や数学の問題を解く以上に、音楽を噛みしめることは重要なことではないかと思っている。そうすることによって、自分とは何かという、生きる上で大切な軸を人は獲得していくのだから。
(2016.9.12)
(レビュアー:大島栄二)
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