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泉谷しげる
『春夏秋冬』

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 季節のない町に生まれ、風のない丘に育ち。この歌詞がよく解っていなかった。ただの言葉遊びなのだろうと思っていた。そんな有り得ない世界を言葉は作り出すことができる。サイエンスフィクションとまでは言わないにしても、その有り得ない世界を提示することによって人になにをか考えさせよう。ひとつのショック療法のような表現は別に音楽や詩に限らない。だから、そういうもののひとつだと思っていた。同世代のミュージシャンとして忌野清志郎という人がいて、彼の紡ぎ出す歌詞はもっと端的だった。言葉あそびではなく、見えもしない現実を見せようとしていた。彼が表現するのは共通項の多い言葉による現実で、本質というか、だからどんな世界にいてもそれを直感的に理解することができる。それと較べて泉谷しげるの歌詞はどうにもわかりにくいところが多かった。と思ってた。東京から京都に引越してきて、四季の豊かさに驚いた。生まれ育った福岡市中央区も東京に較べればいくらかマシだが、それでも京都の四季の豊かさとは較べものにならない。どうやら、僕こそが季節のない町に生まれたのかもしれないと悟った。それでもこの歌が軽やかで穏やかな曲調に支配された中で語りかける世界は観念的であり抽象的なのだが、季節のない町というものについて朧げにも具体性が伴った上で聴き返すと、ひとつひとつの言葉が意味するものまで具体的に見えてくるようになる。歌って面白いなとこの数年で感じた体験のひとつである。見えなかったものが見えてくるというのは素晴らしいことで、もしかすると自分はまだ何も見えてないのではないのかという不安も同時に生まれてくる。10代の、本当にまだ何も見えてないはずだよオレはという時期には世界を貪欲に見ようという、そして成長しようという意欲が不安を凌駕しているのが普通。でも老年にさしかかると何も見えていないということへの不安よりも、知ることで自分が何も見えていなかったということに気づくことへの不安の方が勝ってしまい、結局目を閉じ、耳を覆うことになりがちである。何を言ってるんだろうな僕は。まあいい、そういうレビューもあっていいじゃないか。それにしても1979年の古井戸ラストライブの映像、チャボも泉谷も若いなあ。
(2016.5.21) (レビュアー:大島栄二)
 


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