banri shiraiwa『天気雨』
Guitar Wolf『チラノザウルス四畳半』
スピッツ
『みなと』
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なんとなく呆然としているあいだに、この数年で世の中を覆う(抽象的だが)”不穏な唸り”は上がっている。その「唸り」を日銀・黒田総裁がアベノミクスの実質的な失敗を認めたことに還るのか、または、幾つもの日本に限らず、世界中の痛ましい天災にめぐるのかは人それぞれにしても、誰かが「誰か」を解ろうとする、わずかな想像力の余地が切り落とされながら、同時に、過剰な慈愛の束がインフレ的に善意の道を埋め尽くしているような感じもして、その道を歩いていると、時おり、ダストボックスの少なさに気づく。余りある悪意的な何かもキリがないが、善意的な形象に一定の名前付けをできなくなっているご時世でもあるからだ。パスティーシュへのエピゴーネン。エピゴーネンへのオマージュ。同時に、「どうにかなる」への全能感、大文字。そんな中、湿度と切実度の高い歌をスピッツというベテランのバンドがリプレゼントした。CMソングとしては、光関係に纏わる未来的なものながら、飛翔感も含ませ、彼らとして明確に2011年(あえて日付は入れない)以降で、『小さな生き物』というアルバム、「雪風」という配信シングルを経て、痛みと悼みについて触れた「うた」になっているのが切ない。
みなと―
港、湊、皆と。
どう意訳してもいいだろう4分半の彼らとしてのある種のステイトメント。壮大なロック・ソングのフォルムをまといながら、ザラザラとした質感のオルタナティヴなサウンド、口笛の行間、歌詞と音風景に浮かぶ詩情は「汚れてる野良猫にも いつしか優しくなるユニバース」、「遠くに旅立った君の証拠も徐々にぼやけ始めて 目を閉じてゼロから百までやり直す」、「今日も歌う 錆びた港で」といういかにもなもので、その響きは報道、喧伝されない人称亡き人たちの深い核心の悲しみ、叙情に突き刺さるようで、同時に多くの人たちへの弔鐘にも聴こえ、スピッツがスピッツとしての在り方を毅然とふるわせる。だからこそ、始めないといけないのだと思う。居心地の悪そうな未来を憂い続けるより、もう一度、結えるための代案を交わすために。
ちなみに、このシングルのジャケットが1933年の映画『音楽喜劇 ほろよひ人生』のワン・シーンなのも筆者的に胸に迫った。この春は、宇多田ヒカルの「花束を君に」とこの「みなと」における日本語の夢声にどうしようもなく勇気づけられた。 大いなるメインストリームからしっかりとしたサイレント・マジョリティの集合的な意思へ向けたカウンターへの意思によせて。
(2016.5.7)
(レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
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