THE YELLOW MONKEY『バラ色の日々』
H ZETTRIO『Beautiful Flight』
Turntable Films
『Cello』
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筆者にとっては当初、彼らは“いかにも京都的な、バンドの風情”をまとっていた。オルタナティヴなブルーズ・アンド・カントリーを英詩に乗せて届けていた様をKBSホールをはじめ、各所で観ていると、寧ろ安心もした。そういった場が京都的でもあるという象徴が表れてもいたからで、深いサイケデリックな音の渦に飲み込まれないレベルで、スマートに演奏する彼らの佇まい、は清々しくも、浮いていた。10年代前後のブルックリン・シーンのポップネス、変拍子、アフロポリリズミックなリズムを取り入れたダンス・ミュージックからの影響、ウィルコのような地に足が着いた音までを架橋するゆえに、センスの良さでは済まない、老成した印象を与えていたのも否めないかもしれない。
そんな中で、今作、また、最近の彼らのアクションのひとつひとつが興味深くてならない。日本語詩を積極的に用いるようになったこと。それでも、ポスト・ロック的に反復の中に差異が埋め込まれているような巧みな作法といい、この曲など特にそうだが、それでも、分かり易さにまっすぐ向かわない。ゆえに、分かり易い文法を微分解析するように、節々を脱臼させてゆく。サイケデリア。とは形容しがたいが、彼らがなぞろうとしている歴史の中に、アズテック・カメラ、ペイル・ファウンティンズ、更にはタヒチ80、フェニックス、はたまた、ブルーアイド・ソウルなどまでの要素が見え隠れするのが興味深い。ロマンティックに、夢は荼毘に帰る。
それでも、彼らの音は靜かに反復の合間にクールに確かな熱と意気を込める。
(2016.1.11)
(レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
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