松本佳奈『Strings』
安室奈美恵『BRIGHTER DAY』
米津玄師
『Flowerwall』
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“ハチ”名義のボカロ曲での人気、膨大な再生数といった冠詞と、多数の大きなメディアで取り上げられ、満を持して、本名として活動を始めたときには、彼の持つ特有のヴィジュアル・センスやポップネス、どこかジャンクで退廃的なところまで精巧がゆえに、距離を持っていたところがあった。ただ、ストリングスが大胆に取り入れられた2013年のシングル「
サンタマリア
」辺りで、個人的に表現者としての危うさを感じつつ、魅かれる余白もあったのは否めない。詳らかに深く、この曲、また、MVでは核心たる何かへはリーチできていない気もするが、“審問室”を巡る“二人”という単位の測度を描くには尚早だという想いがよぎったのと、こういった“ビッグネス”はアーティストとして鬼門になってしまうのではないかという杞憂も同時に孕んでいたともいえなくもない。
例えば、今の日本の状況下、日本語で何かを歌うことはときに何を伝えようともしていない語感の妙さえ意味より先に刈り取られてしまう場合がある。聴こえていても、聞こえないような言葉の数々。記号論の羅列がむしろ、意味を成すのと比して。思えば、桑田佳祐は『ただの歌詞じゃねぇか、こんなもん』というタイトルの本を出していながら、その著内では冷静に自身の歌詞に意図、説明を加えてもいる。そう考えると、「サンタマリア」の黙示録的な情景はある種の宗教性・歴史的連関性・倫理性と的確にピントを合わせるか、もしくは、そういった重力を抜けて、軽やかなラブソング、ポップソングにいくのか、更にはメッセージ・ソングとしての強度を保つか、の狭間でどうにも引き裂かれるような微妙さがあった。だからこそ、アルバムがどうなるのか、に興味もあったが、更に次の新たなフェイズにどう入ってゆくのかに対して不安と期待が強く併存していた。
そこで、この2015年の彼の新しいアクションとなる「Flowerwall」だが、オリエンタルな旋律、コーラスとともに、穏やかに、しかし、より拓かれた、壮大な曲になっている。元来の彼に求めていたかもしれない“何か”は薄まったかもしれず、越えなければならない壁を“Flowerwall”として自ら設定するようなさまは、過渡的というのではなく、当人と聴き手にとって、踏絵のような曲にも思えてもしまう。
MVで顔に、真っ白な服に、徐々にペインティングが乱雑についてゆく汚れ方への過程は何だか真摯に映り、大文字がなぞられるメッセージ性がどこまで聴き手の内奥に響くかはわからないが、いつかの彼より眼差しそのものは確たる光の、その先を今の日本のロック・シーンの中心に近い場で探そうとしている覚悟が見える気がする。光の、その先に希望、もしくは絶望的な何があるかはわからなくても、先を見据えようとする眼前に色とりどりの花でできた壁が立ちふさがる瞬間は少なくとも、救いがない訳ではないという意味では悪くないと思う。
(2015.1.16)
(レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
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