くろみつときなこ『足し算のレシピ』
某人間『やさしくできない』
peachonfuse
『Living』
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先ごろ、マレーシアのクアラルンプールに居ましたとき、多民族社会ということもあり、英語、マレー語、中国語、日本語などが混在する様に自身の言語感覚が流石にくらくらしました。日本では、近年―未だ、表層的だと感じも致しますが―グローバル化という名目の流れで異言語、主に英語習得に重きを置かれだしています。しかし、英語でのコミュニケーション自体はリーチできましても、そう簡単にこれまでの自国の慣習を越えられるものではないとも痛感する場面の多さに痛感します。また、ハラルの問題もそうですが、あらかじめのその認識、伝統が根付いています場所と枠組みの中で、後次的にハラルへの導線を敷く差異は思いの外、艱難な溝があります。
日本の女性ソロ・アーティスト、peachonfuseの多面的に、安易な“ボーダーレス“といった言語態を無化するような姿勢に対しては美しさをおぼえるのは端的にサウンドメイクに「無理がない」からでしょうか。いつかのBalam Acab、How To Dress Wellなどを彷彿させるダブ・ステップとチルウェイヴが混交し合いながら、ゴシックな暗がりを持ったウィッチ・ハウスといった潮流から、まさに今年の象徴でもあったアルカ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーなどのポスト・インターネット的な、浮遊する肉体性を持ちました電子音楽、オリエンタルな響きを持ったものまでを齟齬なく跨ぎ、そこに彼女の少し舌足らずな声と意表を突くような「日本語」が溶け込んでくるのですが、歪さはあまり感じません。
ベッドルーム・ミュージック的な内向性/過度の情報量の多さを持った好戦性/とろけるようなサイケデリアの幾つもの糸に”もつれ”つつ、五感を刺激してくるさまは同時代的な音楽への、再更新の意志が垣間見える気がします。
(2014.11.28)
(レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
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