理論も理屈もまったくわからないギターで
m:おぐまさんが音楽を始めた最初のきっかけは?
おぐま:音楽そのものは、3歳から音楽教室でエレクトーンを。それから声楽をやろうと音大に行ったんですけれど、徐々に楽しくなくなって。卒業後は音楽の会社に入って、楽譜を売るという仕事をしてたんですが、それもちょっと違うなということで、一旦手に職をつけようと飲食に行って、パティシエになって。働いてるカフェでBGMを流す担当になり、ナンバーガールにはまって、ライブに行くようになったんです。それで自分もバンドやりたかったんだけれど年齢的にバンドってどうかなと思っていたときに、向井さんの弾き語りを見て、ソロでも自分のやりたい音楽は出来ると感じて、1人でやるようになりました。
m:ナンバーガールの音楽のどういうところが好きですか?
おぐま:うーん、理屈じゃないというか、上手いとかでもなくて、衝撃といいますか。それをみて音楽理論とかを一切取っ払いたいなと思うようになって。だからずっとやってきたピアノでの弾き語りではなくて、理屈もまったくわからないギターで。
m:それまでギターは持ったことも無く?
おぐま:一切無いですね。
ネガティブに見えるかもしれない、希望の歌
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おぐまゆきが描くのは心の中のインナー世界である。街角の光景などを写実的に歌うのではない。表面上は笑っていても内面は180度違った心持ちで暮らしているような。しかしその内面を100%肯定したりするのではなく、表裏のギャップに苛まれている姿。こういうことをきちんと描ける人は稀だ。ネガティブなメッセージソングを歌うことで自己肯定の鎧を作ろうとしているシンガーは多い。だがそれは自己弁護に過ぎず、聴いていて共感する以前に壁の存在に気付いてしまう。しかしおぐまゆきの立ち位置は心の外と内の境界線上であり、ネガティブであることの心苦しさを淡々と描いているので、知らず知らずのうちに共感してしまう。
ポジティブな歌を歌う人の中にも、考え無しの明るさだけで突き進む人と、心の闇を肯定した上で、そこからの脱却に動いていこうとする人がいて、リスナーの共感を得るのはやはり闇を肯定できる人の方だと思う。そういう意味では、おぐまゆきの描く世界は、必ずしもネガティブなのではないのだ。
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〜今日も小さな四角の中で狂っている 狂っている〜
〜真面目に真面目に生きながら 狂っている〜
〜狂いながら 狂いながら 真面目に普通に生きてます〜
〜どっちが本当の姿だろうか どっちが本当の自由だろうか〜
〜どっちもこっちも本当の姿だ どっちもこっちも不自由だ〜 |
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m:おぐまさんの歌詞はかなり独自のものだと思うんですけど、そういうのを書かずにいられないというような、過去の人生の中で自分の価値観というのを決定的に決めちゃった体験というのはありますか?
おぐま:具体的にこれだという体験は特に無いんですけど、周りの環境というか。私だけじゃなく私の友人もみんなちょっと変わってて、変わっているけれども正直で。正直であるが故に嫌われたりするような人が多かったので、自然とそういう作品性になっているんだと思います。
m:おぐまさんの友人にはどういう人が多いですか?
おぐま:あまり他人に干渉しない人ですかね。そういう人とは気が合います。
m:それはおぐまさんも干渉されたくないと?
おぐま:そうですね。一緒にいてもずっと喋らないで済むような人はホッとします。
m:干渉されたくないとか、こちらも干渉したくないという人がステージに立って、何らかのメッセージを発しているというのはどうなんでしょうかね?
おぐま:自分がただ思っていることを歌っているだけなので。それに通じることがあれば好きになってもらえると思うし。ただ、独り善がりにはなりたくないので、人生で体験していることを自分なりに歌って、それに共感してくれる人がいればいいなと。
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