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OTOGI『白い息は君の煙』
【こうして聴く者の心をダイレクトに掴みにくる声】

歌に感情がこもるのはその歌っている人の感情が溢れるほどに存在しているからだという説があって、それはそれで一理あるとは思うけど、やっぱりそんな感情論で説明していてはいけないと基本的に思っている。ある歌手が歌う際にいつだって感情を溢れさせているなんてことはできないし、そこに波があるのならその時々で歌のパワーはかなり変動するはずだ。しかし実際は感情たっぷりに歌える人はいつだってある程度以上の感情のこもった歌を披露するし、どんなに感情を込めてみたところでそれが表に現れてこないシンガーも実際にはいる。

技術の問題もあると思う。表現は技術だ。人が無意識に歩いたり走ったりするのも、ひとつひとつの筋肉を順序正しく動かす技術があって初めて可能になる。一流のアスリートになれば普通の人が歩いているとかいうレベルの筋肉の動かし方ではダメで、最も効率よく動かすフォームを追求し、そのフォームを実現する筋肉の動きを習得する必要がある。歌にだって、そういう技術の部分はある。

歌の場合、歌唱法とか歌唱力という技術の部分以外に、声そのものの声質というものがあると思っている。このOTOGIという人、実際には1人ユニットで、Twitterではまいぺんという名前の人らしいのだが、この人の歌はどちらかというと高い歌唱法を駆使して歌っているというよりも地の声をそのまま出しているような印象で、普通の人ならそんな歌い方をしていたらただの下手な人になってしまうけれど、この人の歌は、むしろ心の底をそのまま吐露するような効果につながっていて興味深い。これは、おそらく声そのものの魅力が表現の真摯さにつながっているひとつの例なのだろう。実際に何歳くらいなのかもわからないけれど、アイドルのような活動をする女性シンガーはたくさんいて、そういう人たちに共通するような声の出し方とはまったく違っていて、時に低く響いてくるし、圧力さえも感じられる。その一方で弱々しくて揺れる感情を一切偽ることなく震えるように響かせる。しかしそういう歌の変化は高度な歌唱法のトレーニングによって生まれているのではなく、この人が生まれ持っている声の性質によるものであるように感じられてならない。だからといって歌のトレーニングをまったくしていないということではないのだ。どんなにトレーニングを積んだところで獲得しようのない声の特徴を最初から持っていると、そういうことなのだ。この声に似ているなと思うのはJungle Smile。ジャンスマの終始泣いているような歌は、上手いとか下手とかいう前に感情を一切隠すことなくそこに居るというようなもので、聴くとすぐに心を掴まれる。歌うためのテクニックのようなものはほとんど感じられず、ただシンプルに歌っているだけで、それが魅力に直結するのだからとても珍しく、感動的でもあった。彼らの曲を聴けなくなって久しく、もちろんそれとは違うのだけれど、こうして聴く者の心をダイレクトに掴みにくる声と出会えて嬉しい。

(2021.6.29) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl