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村田知哉『東京』
【たくさんの『東京』は哀愁に満ちていて、愉快全開みたいな曲はまず持って無い】

理解することを拒絶するかのようなMVだ。7年ほど前にレビューしてそのポップさが今も衝撃的で記憶から離れなかった村田知哉が作る『東京』という曲。この曲を聴いて、何度も聴いて、7年前のレビューを読み返すと「何度聴いても言葉が意味し表現する情景が頭の中に留まることなく」と書いていた。わははは! そうか、あのスタイリッシュなサウンドを伴った、そして映像までもスタイリッシュに構成した曲からも言葉は脳の中で結実しようとしなかったのか。それでいて印象深いインパクトを残していたのか。興味深いことだ。

それならばこの曲の意味をちゃんと噛み締めたいと思って、曲を聴きながら歌詞を書き出してみる。どうやら、別れの歌だ。この歌詞だけを追っているのでは、別れの理由まではわからない。1人称の方がシチューを作ったり、改札で見送るとか言っている。だから、この1人称の主人公(?)が残って、改札で見送る相手が遠くに離れていくのだろう。だが、よく言葉を追っていくと、相手の呼び方が「君」と「あなた」の2種類使われている。「あなた」がどこか遠くの新しい住所に去っていくのだな。ますますわからない。理解を拒絶してるかのようという理由のひとつがここにある。

MVとはいえ映像はなく、リリックビデオでもなくて、小説のような文章が次々と展開されていく。聴きながら、その文章を追ってみる。なるほど、この文章は歌詞を補完するような位置付けなのだろう。そこからわかるのは、ミュージシャンの男と、そのライブ会場で知り合った女が恋に落ち、一緒に暮らし始めるが、バイト暮らしだった男がインディーズデビューを契機に上京を決意して、2人は別れることになる。そういう話のようだ。

村田知哉は6年前にはあったはずのHPも既にない。このMVもたいした宣伝もしていないのか、再生回数はまだ163回にとどまっている。彼のfacebookには川崎在住となっていて、そこにはあったはずのHPのアドレスも掲載されているので、現時点でもなお川崎在住のままなのかはわからない。だが、一度は川崎在住だったのだろう。ということは、この札幌市琴似駅近くの1DKアパートで女性と暮らし、その後上京したという歌の登場人物は村田知哉自身のことなのかもしれない。もちろん完全なフィクションである可能性もあるけれど、リスナーとしてはそう考えても何の不思議もない。仮に推測が正しかったとして、村田知哉は上京した東京(川崎だけど)でどのような想いをして、この曲を作ったのだろうか。歌詞の中には「言わなくちゃいけない言葉が届かないほど/あの街は地図で見ているよりずっと/はるかに遠いことを知っている/すべてが変わることは知っている」とある。この「あの街」というのは、東京を指すのだろうか、それとも札幌を指すのだろうか。

東京という街に暮らした経験のある者として思うのは、特に東京生まれでもなく東京に暮らすようになった者としては、東京はとても優しく、そして厳しいところだということ。居ようと思えば居場所はたくさんある。田舎のような蜘蛛の巣的ネットワークに位置付けられることが無い分、心地良い居場所はたくさんあって、それが嫌なら別の居心地の良い場所を探すことだってできる。ちょっと動けば、もうわからなくなる。不特定な存在で居続けることができる。だがそれは同時につながりの弱さでもあって、そのつながりの弱さが人を不安にもさせ得る。

東京という街についての歌を村田知哉自身も書いているように、ミュージシャンなら一度は創ってみたくなるのかもしれない。そうして創られたたくさんの『東京』には、実に多くの顔があって、東京の多面性というものが現れるよなあといつも思う。だがそのほとんどが哀愁に満ちていて、愉快全開みたいな曲はまず持って無いというところに、東京という街の性格が出てしまうのではないかと漠然と考えてしまうのだ。

(2021.6.15) (レビュアー:大島栄二)


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Posted by musipl