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wacci『劇』
【そうあって欲しいという男性側の願望だろう。ズルい、ズルいよ】

ズルい。ズルいよこの曲は。女性の方が勝手に恋したのだから、あなたには迷惑なんてかけずに身を引きます的な内容の歌。もちろんそういう心模様は存在するだろうけれど、それを男性グループが歌うか? それ、男性の願望なんじゃないか、後腐れ的展開は面倒だから、女性の方で勝手に身を引いてくれみたいな。wacciの曲を全部くまなく聴いたわけではないけれど、名曲と評判の高い『別の人の彼女になったよ』も、別れた元カノが今も元カレに想いを残しているという内容で、そりゃあそういうシチュエーションはありふれる程に世の中にはある。あるけれど、それを男性グループが歌うのかと、やっぱり思うのだ。そうあって欲しいという男性側の願望だろう。ズルい、ズルいよ。

この『劇』と同時に公開された『まばたき』という曲のMVがあって、それは男性側の視点の曲になっている。そこで男性は「僕が君を見逃さないよ、どんな涙も逃さないよ」と歌っている。見逃さないのか。見逃さないのなら、勝手に身を引こうとしていることだって見逃さないだろう。もちろんこの『劇』では身を引く女性はそもそも恋愛関係に無いし、本命がいる男性を勝手に好きになっている片思いの女性でしか無いのだから、そこまで見逃さないでいろというのも無理な注文かもしれないけれど、その女性の終電はもう無い時間に見送られてるんだから、その想いくらい気づけよ。それに応えるかどうかは別としても、ただの友達であっても「お前、今から帰れんの?」くらいは気付くだろうし、それも気付かないようで、本命の彼女に対してどんな涙も逃さない、なんてことが可能かというと、とてもそんなことはできそうもないと思う。

音楽は芸術で、芸術は高邁な理想を語っていればいいというものでもなくて、理想と現実の隙間で苦しむ人間の心を描くことも重要な役目で。だからなかなか人々が気づかない苦悩を描くことでなんらかの気付きに貢献することはあっていい。だから、片思いに苦しむ女性の心情を描くのがダメだとはまったく思わないけれど、それを男性が歌うと、ただ単にズルいと思えて仕方ないのだ。「着てはもらえぬセーターを、寒さ堪えて編んでます」と都はるみが歌うのとはまったく訳が違うと思うのだ。もっとも、都はるみの『北の宿』の歌詞は男性の阿久悠が書いているのであって、それを女性の都はるみに歌わせているのだから、どっちの方がよりズルいのかについてはまた意見が分かれることだとは思うけれども。

(2021.6.8) (レビュアー:大島栄二)


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Posted by musipl