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THE INCOS『生きろ!』
【奥に秘めている真実のような綺麗さを知りたい】

突き抜けていると思う。この曲はとてもシンプルながらも勢いのあるロックナンバーで、ライブで演ればとても盛り上がることだろう。しかしながら何度も聴いているとボーカルの歌は決してリスナーを煽るような前へ前へ的なものではない。画面にはドアップで映るので前へ前へなイメージもあるが、パフォーマンス自体はむしろ終始冷静で、発声力の100%など出してはいない。サビの一部で音域的にキツいところだけグッと腹の底から声を出しているけれど、それ以外は一歩退いたというか、余力を残して歌っている。なんというか、全力でなにかをすることに対して冷ややかな視線を投げかけているかのよう。

そういうのがとても興味深いので過去のMVもひととおり見てみる。聴いてみる。ますます興味深くなっていく。そのすべてが本当の自分を押し隠すかのようで、だったらパフォーマンスなどしなきゃいいのに、発信などしなきゃいいのにとか思うけれど、多分、しなきゃいられないのだろう。それは本当の日々など決して言葉にしないのに、毎日のようにSNSに写真を投稿しては、そこそこに良さげな暮らしぶりを文字にして添える現代の日々のよう。アカウントを消したり、ただただ知り合いの言葉を漁るだけの見る専に徹したりするのはなんか違う、真実3割/虚像7割の日常をひたすら綴るようなのを良しとするかのような。本当のことを伝えようと思っても、背景も含めた全てを説明するのは所詮不可能なことだし、説明が足りない中で発信することは必ず曲解される。それにそもそも、こちらの真実になど他人は関心がないのだ。だから、とりあえず耳障りのいいことだけを投稿し続ける。投稿することが、この社会とのわずかなつながりなのだから。

彼らの曲を聴いていて、珍しく本音を伝えようという意思が感じられる曲があった。『306号室』という2017年の曲。ほとんどの曲では演奏シーン、歌唱シーンが中心で、もちろんメンバー本人がずっと映っているのに対し、この曲ではメンバーではない女性がキャラクターとして登場し、2面性ある無口な人物を演じている。メンバーによる演奏シーンも所々挟まれるのだが、顔の下半分しか映さなかったり、かなり退いた画作りになっていて、存在感を消そうとしているのがわかる。それなのに、ここには伝えたい何かを賢明に伝えようとする意思が感じられる。その曲の最後の歌詞はこうだ。

    嘘だらけのあなたはひどく綺麗だった

隠すということはどちらかというとマイナスのイメージに捉えられがちだ。しかし、世の中には隠すしかないことだってある。というか、8割以上のことは隠すしかないのではないだろうか。秘したいからといって、社会と完全に隔絶することはできず、人はよそ行きの顔を繕って、日々を生きている。そのことを肯定するバンドが、こうして一歩退いた様相で勢いのあるパフォーマンスを披露する。生きるというのは、そういうことだ。その勢いが強く感じられるからこそ、その奥に秘めている真実のような綺麗さを知りたいとも思うけれど、同時に、表面に現れているものだけを愛でて、表層的に楽しんだ方が幸せなのかもしれないと、そんなことを感じさせられた。他の曲ももっともっと聴いてみたいアーチストだ。

(2021.5.14) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl