YeYe × BASI『おとな』
【自由に形を変えつつも、芯のところは譲らないのだなあ】
YeYeのことを最初にレビューしたのが2014年のことで、その時は本人が不思議な踊りを披露しながら歌うというMVで、ワンショットで撮影されていて妙にライブ感があって、生々しい印象があった。生々しいと同時に浮世離れしたふわふわ感も漂っていて、ああ、ポップだなあとしみじみ思った。その後のインタビューなどをみると、当初から自分としてはもっとパンク精神でやっていたと語っていて、確かにあの不思議な踊りはパンク的といえなくもないけれど、表面に浮かんでくる音楽としてはやはりポップ、それもかなり突出したポップミュージックだったと思う。以来YeYeのことは注目してきているつもり。注目したアーチストがなかなか新作を出さず、出さないうちに知らぬ間に活動を終えていたということもしばしばだが、YeYeは作品リリースこそそんなに頻繁ではないけれど、着実に活動を続けてくれていて嬉しい。数年前に結婚を機にオーストラリアに移住したそうで、ずいぶん遠くに行っちゃったものだなという気はするけれど、ネットの世の中で距離なんてものはそんなに関係なく、作品も作られるし、簡単に僕らの耳に届いてくる。1年前にリリースした『30』というアルバムに収録された『幸せにはならない』という曲のMVは彼女の故郷でもある京都で撮影されているし。ワールドワイドで活動するって素晴らしいな。
そんな彼女の今年の活動は、いくつかのコラボ作品をデジタルリリースで。この『おとな』という曲はBASIというラッパーと一緒に。「〜という」という言い方はどうなんだろうか。ツイッターでもインスタでもBASIはYeYeよりもフォロワー数が圧倒的に多い。単に僕がラッパーに疎いというだけで、きっと多くの人がファンなのだろう。しかし知名度だけで云々するのはこのmusiplの流儀ではないのだから、YeYeの作品という感じで先を進めるけれど、この曲、どことなく洗練されすぎてる印象がある。YeYeのポップネスというのはなぜだか引っかかる棘のようなものがあって、それなのに軽く明るくポップさに満ちていて、聴いてるだけでとてもハッピーにさせてくれる。とずっと思っていた。だがここにはその棘のようなものが感じられない。ハッピーさも明るさもあるのに、華麗に流れていく。1月にリリースされたミツメとのコラボ曲『No Longer』では落ち着いたバラードで、曲全体に哀しみがあふれてて、これもYeYeの曲としてはかなり違和感を感じられた。それは、ハッキリとは判らないけれど、曲作りの地点からコラボしてて、決してYeYeの曲としては作られていないからなのだろう。だからと言ってYeYeらしさが感じられないのかというとそうでもなく、そこにいる痕跡のようなものはしっかりとあって、ああ、自由に形を変えつつも、芯のところは譲らないのだなあと感心した。カバーだったりコラボだったりをする時に、原曲に流されて引きずられてしまうのは、所詮自分というものがないからだ。逆に自分の既存のスタイルから一歩も外に出ようとしないかのように譲らないのは、ある意味自分に自信がないことの現れだ。彼女のようにコラボするアーチストにしっかりと対応し、柔軟にフィットさせた表現ができるというのは、アーチストとして必要な何かをちゃんと持っていることの証明だと思う。そのことを改めて確信できただけでも、この春の一連のコラボシリーズはYeYeにとってもファンにとっても意味ある活動だったのではないだろうか。そのことを感じつつ、彼女のYouTubeチャンネルで半年ほど展開していたカバー曲配信を観ると、また一味深まった感慨に浸ることができそうだ。
(2021.5.4) (レビュアー:大島栄二)
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