インナージャーニー『グッバイ来世でまた会おう』
【華やかさの薄いメンバーによる、地味に華やかなバンドサウンド】
聴いていてとても心地いい。落ち着くのだ。これをノスタルジーとかレトロとか表現するのはレビュアーとしての死を意味すると勝手に思うので、そんな陳腐な言葉で終わりにするわけにはいかないのだが、じゃあなんなんだろうか。このバンド、一人一人に特に華があるわけでもなくて、だからはっきりいってその辺の有象無象とどこが違うんだろうかと正直思う。だけど、聴いていて妙に惹かれるのだ。musiplのレビューをする場合、MVを集中してたくさん見る日と、その中からこれはイケると感じたMVについてひたすら書く日とがあって、それは最初に聴いた時に漠然と感じた印象を一旦置いておいて、数日後にあらためて聞いた際の想いを文章にしたいと思っているからだ。つまり、最初にMVに出会ってから文章を書くまでに数日の時間が経過するわけで、その間に、ほとんどの場合、バンド名と曲名だけではどんな曲だったかを思い出せなくなってしまう。曲を聴くと、ああ、あの曲ねと思い出すのだが、要するに忘れているのだ。忘れるってひどいなあ、忘れてしまうようなものをレビューしてるんですかとか怒られそうだが、一旦忘れるというよりも少しの距離を置くことで、曲に対して冷静になれる、それがメリットだと思ってやっている。当然、最初聴いた時にいいなと思ってリストに入れてても、改めて聴き返すと「あれ、なんでこれを良いと思ったんだろうか」と不思議になって、結局レビューを書かないという曲がたくさんある。最初にリストに入れた中からレビューになるのは1/4程度だったりする。だからレビューになる曲というのは、最初の大まかなセレクションからさらに25%ほどの確率で選ばれたものだったりするわけだけれど、それでも、数日間のうちに曲は忘れている。なのに、この曲、はっきりと覚えていたのだ。それは曲のタイトルがサビの部分で繰り返されるフレーズと一致しているというのも大きいとは思うが、それ以上に、曲も歌詞もインパクトがあったということだ。
そのインパクトの素はいったいどこにあるのか。ノスタルジーと呼ぶよりも、レトロというよりも、むしろ古臭いといった方がぴったりのようなこの曲を何度も聴いてみて、はっきりと言えるのは、この曲、バンドマン自身にそんなに華がないにもかかわらず、サウンドは華の塊だったということ。ギタリストは普通ならリフを入れて全体のリズムに寄与するところを、ずっとフレーズを弾いている。超絶速弾きでもなく、そりゃまあ曲のテンポが速くないから速弾きにする必要なんてまったくないけど、それにしてもどことなく鼻歌のようなふわふわとしたフレーズを、メロディを延々と弾く。ベースにしても通常ならルート弾きみたいな基本があるにも関わらず、といってもルート弾きをしてはいるけれど、その回し方が結構派手。リズムを刻んで楽曲全体を下から支えるというのとは違った、まるでギターと対抗しようという意図さえ感じられるような華やかな演奏。ボーカルのカモシタサラが軽めのストロークでコード弾きしているだけなのとは対照的に、ギターとベースが盛り上げる。歌自体もそんなに感情を込めたりせずに歌ってて、それだけだとのっぺりとした平坦な印象になりそうなのにそうなっていないのは、ダブルメロディともいえそうなこの2つの楽器によるところが大きい。そしてその華やかさを持った2つの弦楽器があることで、この感情を込めようとしない平坦な歌を、むしろその平坦さにこそ味があるみたいな錯覚を聴く側に起こさせている。webサイトのプロフィール欄によれば、当初はソロのSSWだったカモシタサラをイベント出演でサポートするために集められたメンバーであるような説明がされていて、まあバンドなんてそんなもんだよなとも思うが、もしもただ単にリフを鳴らすだけのギタリストとルート音を抑揚ない形で弾くだけのベーシストだったら、こんなにも楽曲がインパクトを持たなかっただろうし、そういう意味で、奇跡的な組み合わせになったものだなあと思わずにいられない。
(2021.5.3) (レビュアー:大島栄二)
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