さよならポエジー『pupa』
【正直に、弱さも見抜き、その上で強くあろうとする。そんな誠実な態度】
年度が代わり、子どもたちは卒業したり、進級したり。何歳になったらこのくらいのことが出来るようになるものとして一律に決められたカリキュラムにそって通知表が渡されたりする。人はそれぞれで、成長のスピードも得手不得手もそれぞれなのに、一律に教室に入れられ、一律に判定される。どこかの偉い誰かが期待するスピードでスキルを獲得できればよくできると判断され、逆ならできないと断じられる。それが社会というものだから。社会に押し出された時に戸惑うことなく不条理に耐えられるように、一方的に断じられることに慣れさせられているのか、それとも鍛えられているのか。
曲の最初から最後まで不安な諦めに支配されているようなこの曲を聴いていて、それでも希望をわずかに感じられるのは、まだ生まれていないという自分を規定する表現に接するからだろう。何歳になったらこれが出来て当たり前という社会で、その当たり前が出来ないなら自らを恥じるしかなくなってしまう。だが、何歳になったらこれが出来るというのは誰が決めたのか。自分はまだスタート地点にすら立っていないと思い込めれば、少なくとも出来ないことに恥じる必要がなくなる。だから二階の牢に潜り込むことは、自らのプライドを保つために不可欠なことなのだろう。そんなことを、オサキアユは気が抜けたようなシャウトで歌う。結構なボリュームの歌詞が3分半にも満たないサイズに詰め込まれている。かといって速いテンポで言葉を詰め込んでいる訳でもなく、ただ淡々と自然体で歌う。内面に秘めた冷めた心情を淡々と。
4年ちかくも前に聴いた彼らの曲と較べて、どこが違うのかというと、どこも違わないような気がする。この間ずっと悩みつつ、自分に正直であろうと努めてきた様子が曲の中から浮かんでくる。正直に、弱さも見抜き、その上で強くあろうとする。そんな誠実な態度が、聴いていてこちらの気持ちも鼓舞してくれる。ただ単に頑張れを連呼するようなメッセージソングとは違って、正直でいいんだと気付くことが出来て、前を向けるような気持ちにさせてくれる。
(2021.3.30) (レビュアー:大島栄二)
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