山中さわお『ヒルビリーは かく語りき』
【どうあれば退屈ではない刺激的な自分でいられるのか】
なんというカッコよさなんだろうか。the pillowsのボーカル山中さわおの最新曲。昨年30周年を迎えたバンドなのだから、ベテランと言っても過言じゃない51歳。誰とはいわないが多くの同期バンドマンたちの最近の作品が、おいおい昔の過激さはどこにいったんだよといいたくなるくらいの丸っこさで。まあ本人も年齢を重ねたし、何より昔からのファンが歳をとったのだから、仕方ないよな、20代のキレッキレな曲を今でも演ってたら誰もついてこられないよな、なんて思うこともしばしば。
でも、この曲を聴いたら、そんな「仕方ないよな」がまったくの間違いだったということがよくわかる。なんだこのキレッキレなサウンド、キレッキレな歌。歳とった年寄りファンをかき集めて○○周年記念ライブやって小銭を稼ごうなんてことはまったく眼中にないぜと言いたげな、いやそんなこと考えの片隅にもなさそうな、最前線で吠えるぜ感に満ちあふれていて嬉しくなる。ああ、こんな歌を新曲として今も聴けることの幸せよ。ドラムもギターもなんというビートを刻んでくれるんだろう。
サウンドだけではない。歌詞もすべてが刺々しい。大人になっちまったことに後悔する。何を得て何を失ったのかと問いかける、突きつけてくる。この曲を聴いて体力的についていけなかったり、内容的に顔を背けたくなる大人は多かろう。それで去っていく元ファンも多かろう。しかしそんなことは山中にとってもうどうでもいいのではないだろうか。そんな元ファンに媚びて当たり障りのない曲を作って歌うなんて退屈で死にたくなるだけのことなのだろう。それでファンを失っても、より熱狂してくれる、人生に退屈しているファンが残ってくれればそれでいいのかもしれない。いや、誰が残るかということさえ山中にはもうどうでもいいことで、自分がどうあるべきか、どうあれば退屈ではない刺激的なアーチストでいられるのかということが重要であって、その結果としては当然のなりゆきとしてのこの曲が誕生しているのかもしれない。
ああ、カッコいい!
(2020.7.18) (レビュアー:大島栄二)