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せりかな『優しい手』【変わったように見えて、彼女は実は何も変わっていない】

なんかイイなこの人。と思って聴いていたら、4年前にレビューしていたことに気づいた。どこかの野外ステージでギター1本弾き語りをしていたライブ動画とは動画としての完成度もサウンドもまったく違っていたから、無理もない。あわててその過去レビュー『風になって』を見返してみる。うん、本当に違う。まるで違う。でも、そうなのか、本当に違うのか。違うというなら、いったい何が?

そう思ってせりかなさんのYouTubeチャンネルを見てみる。4年前にレビューした野外ステージのライブ演奏とは別の、MVバージョンがあった。3年前の投稿で、これは本当に手作り感にあふれたMV。演奏も弾き語りとはまったく違うけれども、シンプルなままで前回レビューした時のせりかなさんと同様の何かを感じさせてくれる。そこから数本のMV。ずっと変わらない。しかしこのMV『優しい手』からけっこう様相が変化している。動画の質感が違う。演奏のクオリティが違う。何かあったか? スタッフが変わったか? などなど考えてみる。明確な答えは得られないのだけれど、環境の何かが変わったんだろうということは容易に想像がつく。では、その何かの変化によって生まれている違いってなんなんだろうか。もしもそれでアーチストの本質的なものまで変わるのだとしたら、そもそも何も持っていないアーチストに過ぎなかったということでしかない。だったら4年前のどこかの野外ステージで弾き語っていたライブ動画について「同時代に息をしているということだけで嬉しくなったりする」なんて言わないよ。

このMV。仕上がりが良いからなにも疑問を持つこと無く見ていられる。だがその根本にある彼女の歌には何の違いもないのではないのか。サビに入るところ(1:16あたり)で声を伸ばす部分があって、その伸びがとても綺麗に響いていて、それはもしかするとレコーディング上のいろいろなテクニックが加えられているかもしれないが、レコーディングのテクニックを加えたところで生声の歌が伸びていなければこんなにふくよかな心地良さになりはしない。太く伸びるところ、ささやくように(2:55あたり)ファルセットでつなぐところ。いくつかの種類の伸びを聴かせてくれる。それは単にいろいろな歌唱技術を持ってるよというのではなくて、個々の部分で表現すべき感情があって、それに最適な歌い方をしているだけで。環境が変わってせりかなさんは「歌」そのものにより集中できるようになったのではないだろうか。そのために環境を利用しているだけで、自分の中にあるものを表出してはいてもけっして変わってしまったわけではない。変わったように見えて、彼女は実は何も変わっていないのだ。

(2020.7.17) (レビュアー:大島栄二)


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Posted by musipl