tiny yawn『firefly』【技術の進歩、機材の変化をリアルに感じさせてくれる、風変わりな映像】
映像として面白いなあ、上手いなあと感心する。アコギの胴の穴の中(こんな言い方で良いんだろうか?)にカメラをセットして、弾いている指を見せている。その向こうにいる女性のうしろ姿があるけれど、あれがボーカルなんだろうか。そうだよな、多分そうだよな。うしろ姿だけで判断して良いのか良くないのかわからんけれど、Megumi Takahashiさんだよね多分。でもそのうしろ姿の人がボーカルだろうがなんだろうが、このMVからはギターの存在感、アルペジオ的に弾いている指の美しい動きばかりが意識されてしまう。彼らの過去のビデオは、彼らのチャンネルには4本のMVがアップされていて、そのどれもが紅一点のバンドにありがちな女性ボーカルを中心的にドーンとフィーチャーしたようなものとは異なっている。ほぼほぼイラストのものや、インクの動きや街の風景で構成されたもの、メンバー外のモデルさんが主に出てきててメンバーの演奏シーンがちょっとあるもの、などなど。その演奏シーンがあるものにしても女性ボーカルだけが前に出てきてというのとはまったく違っていて、ああ、このバンドは女性ボーカルを前面に押し出して人の目を引こうということはまったく考えていない、というよりもそういうのを避けているのだなあと感じる。それでもどこかの音楽祭のライブ映像では、普通の構成として歌部分ではボーカルだけが延々とアップになるし、演奏してる姿はイントロや間奏で使われるだけになっている。そういうのと、なんか抗っているような意志が全体から滲んでくる。
ではボーカルのアップを避けたとして、他の楽器陣を均等に映せばそれで公平なのか。公平というやり方がそもそも正しいのか。その辺は議論のわかれるところだろう。ギタリストを映す場合にギタリストの顔を映して、ギターの全体を映して。それでいったい何が伝わるのだろう。そこにギタリストがいますよということしかわからないだろう。ほとんどのリスナーにとってすべてのロックやポップスが単なる歌と伴奏としてしか聴こえていないというのは残念ながら事実で、その事実を認めてしまえばギタリストの全身のカットを、ベーシストやドラマーの全身のカットと同じ秒数入れるだけで善しということになるし、それでは一般的なカット割りでボーカリストだけが長く映っていることこそが正解ということになる。
それに抗うということはそれとは違った映像表現を打ち出すということでなければならないのだが、その点、このMVの独創性というか、大胆さというか、コンセプトそのものが素晴らしいし、目を引くし、音楽って細かな動きによって構成されているんだなということを、楽器のことなんてまったく知らない人にも伝わりそうだ。一旦弦を外してギターの中に小さなカメラを仕込み、その上で弦を張りなおして、撮影したのだろう。こういうの10年前ならやりたくてもできなかったことで、そこそこ手軽な値段で極小カメラが手に入るようになって、実現したMVだと思う。技術の進歩が映像を変えるよなあ。スマホだけで撮影したMVというのも最近はよくあって、それも技術の進歩を感じさせるものだけれど、言われなければ普通のカメラで撮った映像とそう変わりがない。それに対してこの映像は撮影した時の状況が目に浮かぶし、技術の進歩、機材の変化をリアルに感じさせてくれる。こういうのを見ると、最新機材をチェックして、いろいろな映像を撮影したくなったりする。
ここまで書いて、あ、もしかしたらスマホをギターの中に貼付けて撮影してもこれは撮れるんじゃないかと思ったりした。いや、違うだろうけれど。とにかく、アイディアの勝利そのもののMVだと思う。
(2020.6.30) (レビュアー:大島栄二)