Non Stop Rabbit『全部いい』【困難に直面するかもしれない若者に向けた予防的かつ優しさに満ちたメッセージ】
次々と繰り出されるメッセージ。ともすれば、それは無責任じゃないのと言われかねない発言ばかりなのだが、そういう発言、哲学を「無責任」だというのが主流の社会だからこそ、この言葉たちが強い力を放つし、その言葉を必要としている人たちに対する救いの手として輝くのだ。
誰かのことを無責任といって追い立てる力は常に社会に渦巻いていて、それは多くの場合、追い立てる相手の成長を願ったものなのだが、一方で追い立てる側が自分の利益のために追い立てているというケースも少なからずある。そんな誰かの利益のために辛いことを強いられるほどバカらしいことはない。ブラック企業といわれる状況はそういうのにあたるわけで、すぐに逃げるべきだと普通に思う。
だが、「自分の成長を願って言ってくれている」場合には逃げちゃダメなのだろうかという問題がある。例えていえば親が子供に何かを強いる場合。もちろんその子の成長を願っているのはわかる。しかしその願っている成長の方向は正しいのか。成長の速度や度合いは正しいのか。成長すべき子供の能力や環境に合っているのか。もちろん合っていればいいのだろうが、合ってないことは実は多い。それでも子供自身が頑張って伸びようとして、できる間はまだいいが、ズレが生じて心身を病ませるほどにストレスがかかってくるのだとしたら、たとえ親が子供の成長を心から願っていたとしても、逃げるべきだ。
その場合、どこからが逃げるべき状況なのかということについて明確な基準が存在していれば簡単なのだか、そんなものはもちろんなくて。だから親の側も気付かずに追い込むし、子供も気付かずに心を病ませてしまう。あ、これはヤバいなと気付き始めた時に、その是非を考えようとしているとあっという間に状況が悪化する。だから、常に「逃げてもいいんだよ」ということを頭の片隅に置いておくことは重要だし、この曲が徹頭徹尾伝えようとしている「どんな場合にも逃げたっていいんだ」という、ある意味そこまでかと批判されそうなハードルの低さが、実は重要なのだろう。見方によっては無責任すぎるような「逃げ肯定ソング」が強いメッセージとして響くのは、最後の頼みの綱としての真実が詰まっているからなのだろう。
このNon Stop Rabbitというバンド、メンバー全員がYouTuberとして活躍している「Y系バンド」なのだそうだ。TwitterアカウントもYouTubeアカウントも音楽用とそれ以外用とに分かれていて、いずれも音楽用の方がフォロワーやチャンネル登録が少ない。もはやどちらが主なのかはよくわからない状況だが、音楽以外用のYouTubeチャンネルに「YouTubeで売名しているバンドマンです」と明記していて、ああ、彼らは音楽を本業と位置づけているのだろうなということがわかる。YouTuberとしての活動を音楽のためにやるというのは「ミュージシャンとして邪道だ」などという批判も最初はあっただろうし、人気が出た今だって「音楽よりYouTuberに専念しろ」みたいなことを言われることもあるだろう。そういう誰かの価値観による批判など意に介さず突き進む彼らの、自らの方針宣言にも聴こえる。
このリリックビデオとは別に、多くの仲間たちに合唱してもらうバージョンも公開していて、その動画タイトルに「卒業生へ、卒業式が出来なかった人へ。」というタイトルが付けられている。これから新しい人生で困難に直面するかもしれない若者に向けた予防的であり、かつ優しさに満ちたメッセージといえるだろう。
(2020.5.11) (レビュアー:大島栄二)