COWCITY CLUB BAND『ランデヴー』【他者と較べた自分ではなく、シンプルに自分】
このシンプルなロックンロールがとても清々しい。シンプルなロックと一言でいってみたものの、シンプルな表現というのが一番難しい。なぜならシンプルな表現というのはもう何人もの過去のアーチストがやってきていることで、過去のアーチストの中には大御所とか天才とかが当然含まれる。そういうのを相手に普通にやってたのでは陳腐とか古くさいとかどこかで聴いたよねそれみたいな言葉で一括りにされて終わる。それで魅力を打ち出すことは本当に難しい。
だから多くのバンドはスキマ産業的な方向に向かう。これまで誰もやったことのない表現とは何なんだろうか。その結果、音楽ジャンルは次々と生まれ、音楽の専門家でさえすべての音楽ジャンルについて把握することはもはや難しくなってきている。だがそれは心から湧き出る自由な表現だといえるのだろうか。自分の居場所を探った結果としての表現は、人々を感動させる力を持ちうるのだろうか。新しく他とは違うというだけの表現に存在意義はそもそもあるのだろうか。
翻って、この滋賀県出身のバンドのシンプルなロックンロールが持っているカッコよさについて考えてみる。何故だろう、何故なんだろう。
結局、彼らは自分たちの音楽が個性的であるということを求めてスキマスキマに向かったりせず、ただただ自分たちのやりたい音楽にすべてのエネルギーを注いでいるのだろう。だからその勢いにリスナーはブッ飛ばされるのだろう。
彼らは滋賀のド田舎で、「山と川、畑と田んぼ以外何もないので、バンドを結成」したとHPのバイオグラフィに書いている。結成時には別の名前だったが、この4月にCOWCITY CLUB BANDと名前を改めた。COWCITY、牛の町ということか。そんなに田舎なのか。都会にいて毎月ライブハウスに出て他のバンドと交流すると、自分たちは一体何なんだということを他者との比較で考えるようになりがちだ。それが、牛の町では起こらなくて、その結果他者との比較をする必要なく自分たちのロックンロールが生まれるのだろうか。頭で考えればそんなことも可能だろうが、現在のようにインターネットで世界中の音楽が同じ位置に立つ状況の中、田舎だからといって情報の波から逃れられるわけはない。だから彼らもその他の音楽を意識せずにい続けることは簡単なことではないはず。それでも自分とは何なのかに集中し、自由さを確保して表現した結果の、シンプルさでありカッコよさなのだ。他者と較べた自分ではなく、シンプルに自分。それは何も音楽をやる人だけに当てはまるのではなく、様々な活動をしている現代人すべてに当てはまる生き方、生き様であると思う。
(2020.5.7) (レビュアー:大島栄二)