鳴かぬなら『感謝状』
【素晴らし日々が待ち受けているという未来への予感】
淡々と歌われる感謝の気持ち。複雑なことなど一切無い演奏で、朴訥という言葉がふさわしい表現。なのにじんわりと響いてくる。響いてくるというよりも、沁みてくる。温かい気持ちになってくる。音楽の力というのはあるよなあとあらためて感じられる。
曲に合わせて多くの人たちがスケッチブックに書かれた歌詞を示す写真が切り替わっていく。歌詞を表示していくいわゆるリリックビデオというカテゴリに入れるべきMV。どうやらバンド仲間たちが持っているようだ。ちょっと持ってよ。ああ、いいよ。そんな感じのなんということのないやり取りで見んなに持ってもらって、時にはおどけた表情で映る人、少しばかりの微笑みを浮かべる人、カメラに多少の緊張感で固まった表情の人。そのすべてが自然で、撮影している人やバンドマンとの距離感が手に取るようだ。
間奏をまたいで、ウエディングドレスの女性が満面の笑みで映される。新郎と思われる白スーツの若者も映される。どうやら新郎新婦のようだ。曲の終わりに「この度、お二人のご結婚をお祝いできたことを大変嬉しく思います」というメッセージが表示される。ああ、歌で結婚を祝福したんだなあ、そういう歌なんだなあこれは、ということがわかる。その直前には、結婚パーティーが終わった後に車を運転して帰途に着く2人のうしろ姿が映される。リアルだ。宴の後ってこんなんだよなあと思う。リアルだ。残された人たちが日常に向かう。そのなんともいえないうしろ姿がとてもリアル。時間は常に一方向に流れていて、楽しい時間はいつまでも止まっていてはくれない。その寂しさは、辛い時間だっていつまでもそこにあり続けるわけじゃないんだよという事実と背中合わせだ。だから、どんな時も前に向かって視線を向けることができるんだろう。
この鳴かぬならというユニットは、3月27日の自主企画ライブを持って4年間の幕を閉じたそうだ。歌詞を持っていた人たちは、その終幕ライブの共演者やライブハウススタッフたち。この曲が感謝状というタイトルで、結婚する2人を祝福する形のMVになっているものの、曲そのものは4年間の活動に関わってくれたすべての人への感謝状でもあるのだろう。曲は「ありがとう」「ごめんね」という歌詞で終わっている。バンドが解散するということは、ある意味その活動に期待をかけてくれた人の気持ちを一方的に断ち切るということでもある。この「ありがとう」「ごめんね」にはそういうことをちゃんと理解した上で、それでもこの結論を選ぶしかなかった者の想いがにじみ出ているような気がする。それでもこうして曲全体から多幸感が溢れてくるのは、彼らの向かおうとする未来には素晴らし日々が待ち受けているという予感があって、そのことをバンド仲間たちも普段着の表情で受け入れているからなのだろう。
変化は、状況を良くするチャンスでもある。彼らの、そしてすべての人の未来に幸あれ。
(2020.5.1) (レビュアー:大島栄二)