シャンモニカ『ナイトマーケット』【そこに行けば何か大切なものに出会えるかもしれない、という希望】
音楽業界に足を踏み入れ、営業マンとしてCDショップをまわるようになった時、最初に驚いたのが、CD店には置いてないCDが多いということだった。それまでは人気のアーチストの話題の新譜ばかりを買いに行っていて、だから場末の小さなレコード店にも置いてあった。しかし、置いてないのだ。新宿池袋高田馬場といったエリアを担当して、大きな店には10万枚もの在庫があった。しかしデパート内のCD店は在庫枚数がせいぜい1万5000枚程度。10万枚のお店には有るのに1万5000枚のお店には無いというCDが8万5000枚もあるわけで、だから個人的にイチオシの新譜が出ましたよとセールスしても、「そんなの要らないよ」と拒否される毎日だった。
当時はまだメジャーのCDしか流通していなかった時代で、だから渋谷のタワレコに行けばほぼなんでも揃ったけれど、その後インディーズがどんどん増えていって、渋谷のタワレコでも「置いてないCDの方が多い」という事態になってしまった。欲しいCDをネットで調べてタワレコに行って注文して1週間くらいして取りに行く。そりゃあamazonにみんな流れるよ。もちろんそれでもストリーミングが当たり前になるとamazonででさえもCD購入などしなくなってしまうんだけれど。
地方にイオンなどの大型ショッピングセンターがどんどんできて、地元の商店街がシャッター通りになっていった。それは便利さに人が流れたということなんだけど、その時の便利さというのは「そこに行けば1度に全部そろう」というものだった。大規模ショッピングセンターに行き、欲しいものを全部買って、そこに無ければamazonに注文すればいい。買い物だけならamazonだけでもいいんだけど、amazonにはフードコート無いし。だからお茶したりごはん食べたりできる分だけ、まだショッピングセンターには存在価値があるのだろう。
ガイドの仕事をやり始めて驚いたのは、海外からの旅行客が有名寺院の参道にある土産物屋でいろんなものを物色して、つまらないものを嬉しそうに買ったりすることだ。いやいや京都にはステキなものが沢山あるんですよ、もっと良いものを教えてあげるから、こんなお店で買わないで良いお店に行って買えばいいじゃないですか。でも、彼らにはそんな「良いもの」なんてどうでもいいみたい。その場所に行った証としての何かが残ればそれでいいらしい。定期的にお寺や神社でおこなわれる市。手作り市に行っても並んでいるのは素人に毛が生えたような感じの商品たちで、それでも人はたくさん集まって戦利品を物色している。興味深い。欲しいモノはあるかな。あるかな、ないかな。その瞬間に具体的な「欲しいモノ」なんて明確にはなくて、ただただ歩いて物色して、ピンとくる出会いに期待しているだけ。それはあらかじめ欲しいものが決まっているamazonでのショッピングとはまったく対照的で。
このシャンモニカが歌う『ナイトマーケット』はとてもゆったりとしたリズムとメロディで展開していって、まるで夏の夜におこなわれる縁日を巡っているような感覚に満ちている。うっすらと汗が滲んで風が生暖かくて。ナイトマーケットとカタカナで言うと、日本の夏の縁日というより、東南アジアの屋台巡りの方が近いのかもしれない。
そう、縁日に並ぶテキ屋の屋台に、本当に必要なものなんて置いてあるはずがないよ。そんなことはわかっちゃいるけれど、暑い夜にうっすらと汗をかいてでも、欲しいモノが無いはずのマーケットに人は出ていきたいものなのだ。探しているのは希望です。具体的に必要な商品なんてamazonで幾らでも手に入るけれど、amazonには無い「そこに行けば何か大切なものに出会えるかもしれない」という希望が、ナイトマーケットにはあるのかもしれないし、そういうものが、人間には本当に必要なものだったりするのです。
(2020.4.21) (レビュアー:大島栄二)