TOKYO LIE LIE『宵に時雨れて』【作者の実像が不明なままに多くのファンに支持されることもけっして少なくない】
音楽をやっていてそれを公表して第三者に聴いてもらおうという人は、普通自分が何者なのかをアピールする。ライブをやるから来てよ、音源を出したから聴いて(買って)よ。そういうアピールが次の音楽表現の糧となる。だが稀にそういう自分アピールをほとんどしない人がいる。昨今ではボカロの人たちに多い。ライブハウスを活動の中心にするミュージシャンは基本的に人前に出ることが前提だから、売れようが売れまいが存在を誇示するけれど、ボカロはそもそもボーカロイドというツールを得て、それを使えば誰とも会わずに音楽を完成させることができるし、それを別にライブハウスでパフォーマンスしなくともニコ動あたりで匿名で発表することができる。そんな匿名の音楽を誰が聴くんだと頭の古い世代は思うが、意外に聴かれたりする。それは匿名アカウントのTwitterのつぶやきに多くのイイねがついていたりするのと同じで、昨今では下手にライブハウス中心に活動するよりも多くの人たちに聴かれているのではないだろうか。
そういうクリエイターの音楽の多くは独り善がりで稚拙なままだったりするものの、バンドとは違ってメンバーの考え方やメンバーの持つ演奏テクニックの限界に妥協する必要がなく、自分さえクリエイティブセンスを持って細部をとことん詰めさえすれば、より個性的でクオリティの高い作品に昇華する可能性を持っている故に、優れた作品も多い。普通に生活をしている限り存在を知らないで済む超優秀な才能による作品群が、作者の実像が不明なままに多くのファンに支持されていることもけっして少なくない。
まさに、今の時代を反映している。
このTOKYO LIE LIEというアーチストも、自分のHPさえ持たず、ただTwitterアカウントがあるのみで、正体が不明だ。しかしこうしてYouTubeに公開されたリリックMVで聴くことのできる音楽は実にクオリティが高くて驚く。この人の音楽がボカロなのかどうかは判らない。自分ひとりで全音源を作って自分で歌っているのかもしれないし、音楽仲間と一緒に覆面バンドをやっていてすべてリアルな音で作られているのかもしれない。だが、そういう実像を探っていくことが重要なのではなく、結果としてここにある曲を聴いて、良いと思うのかどうかだけに意味があるのだろう。この曲が例えばEXILEのバラードに似ているのか昔の稲垣淳一あたりの曲に似ているのかは個々が感じ取ればいいのだが、そういう高い価値がすでに認められている音楽と比較してもけっして劣らないクオリティがあって、それが覆面状態のアーチストから強いアピールもされること無くこうして公開されているということに今更ながらに驚いてしまう。
(2020.3.19) (レビュアー:大島栄二)