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中村一義『愛にしたわ。』【先の読めない殺伐としたご時世だからこそ】

ドラッグストアやスーパー、はたまた、コンビニで始業時間を前に並んでいる人たちが居て、目的はマスクや生活用品で、ゲシュタルト崩壊しつつある大衆心理の襞の中にもぐってみて、自分が買ったのは自動型掃除機の電池だけだった。多く選択肢があるほどに、必要なものは然程はなく、失った航空券や乗車券の代替に閑散とした観光地に足を運べたり、なかなか立派なホテルでの朝食を食べられたり、細い道を人を掻き分けず進めたり、沈黙を愉しめたり、色んな良い効果もある。無論、今、起こり続ける悲惨な事情には胸を痛め、早目の鎮静を願うしかなく、新たに定義される平坦な日常ではマスクなしに笑ったり対話を交わせたらいいと思う。オーブントースターでピザを焼くのと窯でじっくりとピザを焼くのとではその後の時間の過ごし方が違うように、手間暇の中で愛すべき日常を「生きている」と確認、追尾することがある。状況によってどうにもならなくなった部屋から生きるか死ぬかの瀬戸際で声を発した中村一義はコミュニティ形成や幅広い交流を経て、今はまた、弧然に立ち返り、十字(架)を負う。

オリジナル・アルバムとしては実に10枚目を重ね、キャリアとしては中堅どころに差し掛かり、ほぼ同世代のくるりやスーパーカー、ナンバーガールなども変容、離合集散を繰り返しながら、彼は規模の大きさは別として、真摯に自身の道を歩んできたといえる。ゆえに、再評価や現在進行形の時代要請の枠の中からどうしても取り零れてしまうマイ・ペースさがあったのも否めない。

かの語り継がれるデビュー・アルバム『金字塔』と同じ制作法を取り、すべての楽器を自分で演奏し、経験値の深みも反映された『十』は、中村一義らしいチャームな振り切れなさと曖昧な中で揺れ動く危ういほどの人情味を音楽の中で試行錯誤している。しかし、この『愛にしたわ。』は、過去の彼の数多ある優れた曲の中でも遜色のない澄んだ、愛敬ある美しさを特に持っていると思う。相変わらず歌詞カードを読まないと解読できない箇所と、クセのある歌唱、人懐っこさが行間からこぼれる音、メロディー、アレンジメント。愛という大きな言葉、概念を前に、この曲にも無数の「愛」が出てくる。

    ねぇ、愛にしたわ。ねぇ、愛にしたわ。
    もう、二度とは無理でも、最後、いっこ。
    愛にしたわ。ねぇ、愛はいたわ。
    この、唄う星座の向こうにね。
    愛にしたわ。ねぇ、愛はいたわ。
    そう、終わりで始まる、たった、いっこ、は愛にしたわ。
       (『愛にしたわ。』)

“普通”というありえない、『永遠なるもの』を求め、街に出て、街の不条理に気づき、死ぬように生きたくないと表明した青年は仲間たちと爆音ゾーンの果てに星座の向こう側にひとつだけ、何かを求め、ベートーヴェンと対峙して音楽史への殉教と、反動的に外れ者、海賊として、自分なりの正しさを求めて、今もいる。ここでの「愛」は、若かりし彼の思っていた“それ”とはまた切実や深度は違うだろう。でも、愛にしたわ、と歌われる力強さが響くこんな時代にこそ、やはり彼の唄は次の明るい未来に十字路での再開に向けてまだまだ必要だと思う。

    次はどこで会おう。
       (『愛にしたわ。』)

先の読めない殺伐としたご時世だからこそ、大きく威厳のあるようなステイトメントには惑わされぬよう、か細く日々を生きて、災禍なく、それぞれなりの愛にしたいものだと些細に希う。そんな人たちのための何気ない支えになってくれる一曲だと思う。

(2020.3.7) (レビュアー:松浦達)


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review, 中村一義, 松浦達

Posted by musipl