PLUE『イトシイ』【絶妙な「弱気さのリアル」を表現する彼ら】
「弱気なラブソング」がテーマらしい。なるほど、たしかに弱気だ。弱気というとダメダメな何かをイメージしてしまうが、音楽として聴く分にはまったくダメじゃないし、むしろそういう音楽を聴きたいシチュエーションというのは確かにある。もちろん弱気なラブソングと自称すればなんでも良いというわけじゃないし、そこは聴いて良いか悪いかが問われるわけだが、この曲、実にいい。
個人的には弱気な人間ではないと思っているけれども、だから弱気な人の気持ちを「わかる〜、僕も僕も〜」という気にはなれない。だが、そういう弱気な何かに共感する人というのは確実にいる。繰り返すけれど弱気であることはダメなことではない。そういう性質なだけだ。弱気であるから見えるものというものもあって、弱気な人が発見することで注目され、それが社会を良くする何かになるということだってある。当たり前だ。弱気だったりナイーブだったりする人はなにも卑下する必要なんて無い。精神的マッチョな人には無い繊細さを持った、生物としてより先に進化した個体だと威張ったっていいはずだ。いや、それが出来ないから弱気なんだろうけれど。
そういう観点でこの曲を聴いてMVを眺めていると、本当に弱気なラブソングを体現しているなあと感心する。パワーポップの人ならそこもう一押しシャウトするだろうというところでシャウトしない。だから歌全体の勢いが止まる。弱気だ。ハイトーンで声の出る範囲ギリギリまで粘ろうとしないから必要以上に早めにファルセットに移る。弱気だ。映像だってここがこのMVの最適な画像だなと思えるところを探すけれども、ボーカルが真正面から映されるシーンがことごとくシャウト的な力強さに入る直前でカットを変えられていて、見ていて肩透かしを喰らう感がある。映像編集さえ弱気を前面に押し出すような意図があるように感じられる。
そういうことを指摘すると、いやいやそうじゃないんですよと反論されるかもしれない。だが、反論する必要はまったく無いだろう。むしろ彼ら自身が掲げる「弱気なラブソング」をこれほどまでに効果的に表現しようとしていると、褒め讃えたいのだ、僕は。もちろんもっともっと窮境の弱気を極めて欲しいし、そのためにブラッシュアップすべき点はいろいろとあるだろう。そして安易な表現で弱気を演出しようとするとそのあざとさが前面に出てしまって、結局ダメダメになってしまう可能性だってある。つまり、プロデューサーがコンセプトとして弱気を打ち出したところで失敗する。その絶妙な表現を彼らは実現しているのであって、この弱気さのリアルをもっともっと自然体で追求してもらいたいのだ。そういう表現に触れて、勇気を持てるリスナーも少なからずいるだろうと思うのだ。
(2020.2.3) (レビュアー:大島栄二)