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浪漫革命『あんなつぁ』
【京都バンドという分類があって、他の地域にはそういうのが存在しない】

出たよ、京都バンド。バンドというのは無数にいるけれど、だいたいいくつかのパターンに分類できると思ってる。もちろんそれぞれが個性を打ち出そうと必死にやっているのだし、それらを十把一絡にしていいはずはないのだけれど、それに同じバンドの曲だって1曲1曲違うのだし、そういうのを同じカテゴリーに放り込んで一件落着とするのはダメなんだけれど、それでも「このバンドはあのバンドと同じ系統だな」と思うことはよくある。というか、ほとんどの場合そういう分類が可能だ。例えばメタルバンドにはメタルバンドとしての特徴的な衣装やメイクがあるし、ラッパーチームにはそれなりの類型があるし、ブルハ系のシンプルなロックバンドにはそれなりの何かがある。彼らがツインバスドラのシンバル何個あるんや的なドラムセットをステージに持ち込むことは無い。

そういう中、京都バンドという分類があって、他の地域にはそういうのが存在しない。高知バンドとか、佐賀バンドとか、北海道バンドとか。そういうのは、無い。もちろん各地でバンド活動が盛上がってたりするし、活きの良いバンドがたくさん排出されている土地はある。しかし、地域バンドの典型的な何かというのはほとんど無い。昔からバンド王国として知られる福岡でも、めんたいロックという音楽ジャンルはあっても、博多バンドというまとめ方はない。もちろん、東京バンドも大阪バンドも名古屋バンドも無い。だが、京都バンドというのは存在するのだ。まあそれはくるりに代表されるひねくれ者。ひねくれ者というのはちょっと違うかもしれないが、絶対にオレたちの個性を曲げたりしませんよ、東京のビジネスが「こうした方が売れるよ」とか言ってきても知らんわ、的な。そういう頑固さ。芯は頑固なのに、音楽は柔軟で。その柔軟さと頑固さが京都バンドの特徴であって、だから音楽的なジャンル問題ではない。それは今でも「天皇家は一時的に東京に行ってるだけ」とか「先の戦争といえば応仁の乱」とか「一見さんお断り」とかいった感じの話にも現れているような感じの何か。この浪漫革命というバンドからも滲み出てて面白い。じゃあ何が滲み出ているのかといわれても、それが具体的に何なのかを答えることはできないけれども。それは同じく京都バンドのバレーボウイズやTurntable Filmsにも通じる何かで、音楽ジャンルは違うけれど、独特の京都的な何かが染み込んでいて面白い。

(2020.1.16) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl