MONO NO AWARE『言葉がなかったら』
【それでも話すということには希望があると思う】
人は人とわかりあいたくて言葉を交わす。こんにちは。お元気ですか。差し障りのない会話ならどうってことはないが、それでは深いところまでわかりあうことはできない。だからもっと深い話をしようとするけれど、そもそも別々の人格同士が話をするのだから違う部分ばかりが明らかになって、ああ、この人とはわかりあえないなと悟ってしまうし、場合によってはケンカになる。ああ、辛いな。こうしてレビューを書いてみても、時として罵倒を浴びる。「せっかくレビュー書いてもらっても何言ってるのかわからなくて残念だ。」いや、もう少し何言ってるのかわかろうとしてよ。それとも、理解するための努力を期待すること自体が間違っているんだろうか。
友人同士の会話だって時として決定的な亀裂を生む。愛しているはずの関係なのに言葉がその関係にヒビを入れる。じゃあ黙っていればいいのか。いや、違うだろう。「なぜ言ってくれなかったの。」「いつもあなたは黙ってばっかり。」いやいや、言えばすぐに否定されるし、言うタイミングを失ってることだってあるんだよ。
言葉があるからそんな問題が起こるのなら、いっそ言葉なんて無ければいいのにというのは、ある意味言葉を獲得した人類にとって戻ることのできない理想郷なのかもしれない。そんなことを歌うMONO NO AWAREのこの曲。しかし最後にはさまざまな困難を前提にしつつも表現したい、言いたいというところに帰着する。美しい。人は時として絶望するし、その絶望の一因に言葉があることは十分に理解できる。その結果無口になるオッサンのなんと多いことか。それでも、やはり話した方がいいんだと思う。話してることのほとんどはたいしたメッセージなんかじゃないし、無意味なことばかりつぶやいてしまっているけれども、それでも話すということには希望があると思う。そうじゃなきゃ毎日のように音楽について語ったりはしないんですよ。音楽は聴くことがすべてだと解っているけれど、それでも言わずにはいられないから、今年も言葉を使って音楽を表現する。し続けていきますのでどうぞよろしく。
(2020.1.6) (レビュアー:大島栄二)