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徳永由希『明け方、愛について。』
【毎日が単調なリズムで支配されていて、平日も休日も切り替えなんてできないよ】

このルーズに進行していく歌。まるで日常のリアルがそのまま歌になっているようだ。ルーズというか、ダルいというか。テンポよく進んでいく日常のリズムに懸命についていこうとするけれどももう無理、みたいな。その結果あらゆることをきちんとすることなどもうとっくに放棄してて、だからきちんとしたなんて概念が既に崩壊した日常がそこにあって、それなのに「きちんとした」という言葉は依然として存在しているから、そことのギャップに漠然とした不安感不満感を抱えながら生きている、という日常。それでもそこに華やかさとか彩りは欲しいから、虚飾とはわかっていつつもその場限りの祝祭を取り入れる。根っこが存在しない充実を充実として受け入れ、それを喜びとして受け入れ、また次の日の忙しさに突入していく。そんなことの繰り返しだ、我々の暮らしは。

明け方になっていろいろなことの帳尻をつけようとするのは、通常の就寝時間までに1日が収まりきれていないということの証拠だろう。なんとか帳尻をつけられたと思った明け方から次の1日が始まるなら、睡眠が足りていない状態で始まるその1日がうまいサイズで帳尻つくとはとても思えず。週末に1日寝ているサラリーマンが多いというのはそういうことで、週末に1週間の体調の帳尻をつけようとしているのだろう。だが、やるべきだった選択も掃除ももう無理で、次の週がまた容赦なくやって来る。

単調な軽い鍵盤の音が繰り返すフレーズがサビでもサビ以外でもずっと鳴っていて、ギターロックのバンドのギターみたいに強めの主張をしていない分、ずっと鳴っているが故に無意識にリスナーの意識に潜り込んでくる。まるで毎日が単調なリズムで支配されていて、サビであろうがなかろうが同じリズムというのは、平日も休日も切り替えなんてできないよということを象徴しているかのようで、リアルで、切ない。徳永由希という人は一体どんな人なんだろうか。HPやSNSから想像するだけだけれど、しかも断片的な情報からだけだけれど、けっこう変わった人っぽいオーラが滲み出してる。ライブを見ずにこんな勝手なことを書いてたりするとめっちゃ怒られそうでビクビクしてしまうが、まあMVを公開して、そこで勝手なことを書いたりする人が現れて、それを入口に興味を持ってライブに行く人が現れる可能性だって0.1%くらいはあるだろうから、まあ許してねと先に謝っておいて、何食わぬ顔で筆を置きたい。実際はキーボードだけれどもな。

(2019.12.9) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl