アカシック『終電』
【はすっぱなサウンドがめっちゃカッコよかった】
アカシックはカッコよかった。はすっぱなサウンドだった。ある辞書には「思慮の浅い軽はずみなこと、言動の慎みがなく浮薄なこと」という説明がある。たしかに「はすっぱ」という言葉には否定的なニュアンスがあって、褒め言葉としては不適当かもしれないという思いが無くはない。しかし、やはりアカシックの音楽ははすっぱなサウンドだったという以外に言いようが無い。
ある意味、それは限界の際を絶妙なバランスで落ちることなく軽やかに渡りきる小気味良さと言ってもいい。プロによる安定的に支持を集められるだろう音楽を作ることはできる。しかしそういう保証に裏付けられた絶対的な安全地帯から放たれるサウンドに人はどうエキサイトすればいいのか。そういう音楽ももちろん必要で、というか圧倒的大多数の人たちはそういうものを求めていて、人生に横たわっている膨大な空き時間を埋めるにはそういう音こそ最適だろう。しかし、それで人が暴力的な刺激を受けて人生観を変えるなんてことはありえなくて、だからつまり、結局は永遠に暇つぶしにしか音楽が寄与しないということになってしまう。音楽が人の生き様を変えるには、その音楽そのものも大いなるリスクを抱えつつ、ギリギリのところを駆け抜けるしかないのだ。だがそんな音楽を作るには、才能も覚悟も必要で、簡単に生み出すことも出来ず、したがってそういう音楽に出会えるのも稀だったりする。
アカシックはそういう稀な、ギリギリのところを絶妙なバランスで駆け抜けていたバンドのひとつだった。いつも裏切り、その常に裏切るということで応えていた。というか、単純にカッコよかった。そんなことを考えながら、初期のMVを眺めていると、なんとまあシンプルにはすっぱなことか。美しい。このMVの次の日に空中分解したとしてもおかしくないほどに自由で、スリリング。そういう意味では、何年もよく続いたものだと今さらながらに感心する。ほんの1週間前の10月26日にラストライブをおこなって解散した彼ら。ボーカルの理姫は「私は歌います。すぐに歌います。びっくりするくらい、すぐに歌います!」と宣言していて、引き続き彼女と仲間たちによる新たなはすっぱな音楽が生まれることを期待できる。あるいは、まったく違ったタイプの音楽を打ち出しちゃって、らしいなと裏切られるのもいいのかもしれない。
(2019.11.2) (レビュアー:大島栄二)