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それでも世界が続くなら『死にたいって言えばそれだけで』【徹底的に面倒臭いものとして提示した、その先の価値へ】

死にたいとか、会社辞めたいとか、言える人はまだましだと思っていた。口に出して言うことでその瞬間にプレッシャーは少し放出されるから。まだ会社勤めをしていた頃、幾人かの「辞めたい辞めたい」くんを知っていた。だがそういう人に限って辞めることはなく、辞めていくのはいつも決まって前日まで楽しそうに仕事をしていた同僚だった。だから辞めたいと言う人は辞めないんだなとその頃漠然と思ったりしていた。この「死にたいって言えばそれだけで」という曲には、死にたいと言えば楽になれることを知っている、そういう主人公の声として歌われている。そう、彼は死にたいと口にすることで自分が感じているプレッシャーを放出できると知っているのだ。そんな彼に「そんなことを口にするのはよくない」という彼女が現れる。「死にたいなんて言うのはよくないよ」ということは、プレッシャー放出を封印させるのではないか。それによって鬱々とした想いを心に充満させてしまうことにはつながらないのだろうか。

数年前に死にたいと何度か口にした友人がそのまま死んでしまって。その言葉はプレッシャー放出だけじゃなく、明確な警報でもあるんだということを知った。会社を辞めたいも、死にたいも、その人その人の事情や状況というものがあって、発せられる言葉が同じだからといって背景もすべて同じだと解釈するのは愚かなことだ。愚かな考えのままでいると同僚や友人を失う。だからといって、多少賢くなったところで失わずに済むのかといえば、そんなこともないのだろうけれど。

それでも世界が続くならというバンドは2011年に結成され、昨年一旦活動停止し、この度新メンバーを迎えて活動を再開したという。彼らのHPには活動再開に際してボーカルの篠塚将行による手紙が掲載されている。かなり面倒臭いことが書き連ねられている。活動停止と再開についての想いを延々と。面倒臭いよな。しかしこの面倒くささを面倒臭いと思って嫌ってしまうのなら、わかりやすくビジネス的なことだけ連ねてる場所に行けばいいし、そういう音楽はたくさんある。そういうわかりやすい場所や表現で得られるものは何なのか。それはすべてのものごとを単純化して済ますだけの効率や便利や表面的な快楽なのだろう。彼らは、そういうものとは真逆の面倒臭い何かを求めて表現をしているように思う。だからちょっとした挨拶文も、意図的にか無意識にかはわからないけれど、徹底的に面倒臭いものとして提示しているのではないだろうか。そうやって面倒なプロセスを経た先にだけ可能となる、ひとつひとつの小さな叫びを救い取るという価値のために。

(2019.10.24) (レビュアー:大島栄二)


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