黒木渚『美しい滅びかた』【普通の人にはならないでって君が呪った、私を呪った】
自分の生き方は自分で選ぶ。そんなことは当たり前だと思うけれども、本当に自分で選んで生きている人はどのくらいいるのだろうか。選んでいると思っていても社会や自然に起こる様々な出来事に振り回されて翻弄されている人は多いし、予想外のラッキーに包まれて守られながら豊かな人生を送れてしまっている人だって多い。人生の分かれ目でどちらかの道を誰もが選択するものの、完全に見通せる道なんて存在しないし、だから、自分で選んでいる選択のほとんどは、勘と運でしかないのではないかと思うこともある。
この曲の中で「普通の人にはならないでって君が呪った、私を呪った」と歌われている。普通の人にはならないでねって、それは呪いなのだろうか。呪いという言葉を辞書で引けば「恨みや憎しみを抱いている人に災いが起こるように神仏に祈る」と書いてある。災いが起こるように祈る。普通の人にはならないでというのは、災いなのだろうか。少なくとも、そう言った人は、相手に災いが起こって欲しいなどとは思っていないだろう。しかし、受け手の側が必ず同じように受け取るのかというとそうではない。よかれと思って期待することが、本人の願望と違っていればその期待は結果的に本人を苦しめ、呪いと化す。この「呪」という言葉は般若心経にも出てきて、「大神呪 大明呪 無上呪 無等等呪」と唱えられる。解説する人はこの「呪」は呪いのことではないと解説する。そりゃそうだろう。仏の言葉に人間を呪う言葉があるはずがない。しかし、仏教徒じゃなければ、それは異教の神の言葉であり、場合によっては呪いにもなる。そんな宗教の深い話に足を突っ込みたいわけではないので話を戻すが、誰かの期待がかけられる本人を押しつぶすということはよくある話で。大切な人がかけた呪いほど、本人を苦しめることは無いのであって。
沢山のアーチストがいて、そのうちのいくつかのアーチストについては食わず嫌いにしてしまっていることがある。黒木渚もそういう食わず嫌いアーチストのひとりだった。最初、黒木渚が黒木渚という名前のバンドを結成したという話を聞いて、「なんだそれは、めんどくさいやつだな、じゃあソロでいいじゃん、バンドにするならバンド用の名前を付けろよ、他のメンバーが可哀想だろ」なんて思っていた。今回このMVに出会って、食わず嫌いなのに聴いてみて、なかなか良かった。HPのバイオグラフィページを見ると、黒木渚というバンドは1年で解散し、ソロ活動に転じたとか。なんだ、めんどくさい状況はとっくの昔に解消してたのか。そして3年前に喉を痛めて音楽活動を中止して小説の執筆に専念していた。なんとも大変な活動状況だが、少なくとも、食わず嫌いはダメだなということをあらためて思い知らされた。黒木渚、好きです。昨今は鬱になる人も多くて、そういう人に「頑張れ」は禁句で。「普通の人にならないで」が呪いであるというのはそれと同じこと。でも多くの人がそれが呪いであるということに気付かずに、苦しい人に頑張れと声をかける。この人は、それが呪いであることを知っているのだろう。そういう人の表現には、正しい何かがあると思う。小説も読んでみたくなった。
(2019.10.17) (レビュアー:大島栄二)